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月刊「観自在」

 観音院の法主さんの日常 (98/01)

                    
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  出来ることと出来ないことを明白に
   出来るか出来ないかは実際にやってみて
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   超不器用と殆ど専門家の両極端
       好奇心をすこぶる旺盛に生きる

 法主(ほっす)さんの近くにいて、意外なことは、私たちの誰でも
出来ることが全然出来ない。相当勉強しなくてはならないようなこ
とを専門家が驚くような手際でなさることが出来る。悪い言葉です
が、専門馬鹿と専門家が同居しておられることです。物事の基本を
しっかりと自分のものにしておられて、必要なことを必要に応じて
勉強しておられて、しかも、ご本人にとっては、遊びに近いような
楽しみ方で突っ込んで行かれますが、倫理道徳に反することは絶対
にされることがありません。


     大根の葉っぱを捨てられないで
        おかずに仕立て上げられる腕前

 先日のことです。阿多田に行きまして、大根を一本貰いました。
私はおろし大根にするつもりで葉っぱを切り落としています
と、法主(ほっす)さんは「もったいないことをするな」と葉っぱを
良く洗われて、水を切り、葉の先・中間・根元近くの三つに大きく
分けられ、それから、根元はみじん切りに、中間は普通に、先は大
雑把に切られました。
 フライパンに少し紅花油を落とされ、強火で熱せられて、根元部
分から炒められ、続いて中間部分、先ちょを入れられて、バターを
少し落とされて、醤油少量で味付けされて、これが本当に美味しい
のです。
 材料の固さによって調理時間を変えることは常識です。ですが、
大根の葉っぱはもう捨てられて、食べる人は殆どいなくなりました。
 法主さんは台所で料理はされない方です。
 それが、阿多田では、時たまご自分の食べられる料理をご自分が
なされて、煮物などの味付けなどを、色々と教えてもらいながら、
不思議な方だと思います。

 障子紙の張り替えなんて、魔法を見るような手さばきです。感心
もしますし、誉めたくもなります。
 昭和の一桁だからと言われるのです。第二次大戦終結までの日本
人は足袋のほころびを縫うことなど普通のことで、物を大切にする
のは習性みたいなものだ、と法主さんは言われますが、当時の皆さ
まは大変に苦労をされたのかもしれません。

 昔の話をされるのは厭(いや)だそうです。過去の不幸や辛さを、
他人と競争しても仕方がない、全部ご自分の大切な出来事だそうです。
 大根の葉っぱを上手に食べることも、堆肥(たいひ)を作って作物
の肥料にすることも、佃煮を作ることも、浴衣を仕立てることも全
てが楽しいそうです。

 でも、どうにもならないことは、「無い物は無い、出来ないこと
は出来ない」ことだそうです。
 無い物を欲しがる、出来ないことを出来るように思うのは辛いこ
とだと法主さんは言われます。
 分を知る、他人を羨(うらや)ましく思わない、こつこつと物事を
する、周囲に感謝する、知りたいことは一生懸命に教えてもらう、
知らないことを教えてもらう態度は、とても素直な方だと思います。

 法主さんは何かの出来事に、人並み外れて感動されるようです。
病める人を気の毒と思い、貧しい人に同情し、時代の変化について
いけない人々に、とても心配されています。ワープロやパソコンは
一号機から使っておられるそうです。
 ワープロの文書は味気ないと言う人もあります。確かにそうです。
 ですが、法主さんが昔に書かれた手紙の下書きが山のように残さ
れています。日刊で伝道のリーフレットを出されていました。ガリ
版刷りのものです。
 それが輪転機(りんてんき)になり、オフセット印刷になり、やが
て電算編集になった次第と聞きました。
 この移り変わりには観音院のファンが激増したという止む得ない
事情があります。法主さんは三十五年くらい前は巻紙に筆で手紙を
書かれていた時代があるそうです。

 今でも願文(がんもん)は筆で書かれます。でも若い人には法主さ
んの走るような流れる字は読めません。次の世代に残すためにデー
タとしてパソコンを使っておられます。
 観音院には法主さんの使われた美しい硯(すずり)が保存されて
います。法主さんはテクノロジーの人ではありません。理屈よりは
手で覚えられた、身に付いたような気軽さで物事をされます。です
から、ワープロよりは筆で手紙を書かれたい、そのような意味で硯
や筆を今でも大切に身辺に置いておられるのだろうと思います。

 法主さんは、竹とんぼや、竹馬や草笛の感覚の人です。僧侶とい
うより農夫、漁師という性格です。天気予報をテレビで見られるよ
りは、空を見上げて「明日は良い天気」と自分で予測されるような
日常です。
 ご自分では勘だと言われますが雲の流れや空の色で明日の天気を
予測されたり、海の透明度や色を見て、魚が多いとか少ないなどと
言われますが、空や海の色が見れるようなところがあります。

 知らない物に手を出される、物を壊されたことを、この十年間に
一度も見たことがありません。
 確かに大量の知識を持っておられるのは、多くの人が認めること
ですが、良く質問をされる方です。
 そして大量のメモを保存されている、それが情報のファイルとし
て蓄積され、検索されて、そこから将来を予測されるのでしょう。
 どうしても理解出来ないことは、俗に言われる霊感のようなもの
をもっておられることです。
 多くの知り合いがおられ、その中のお一人のことを話し始められ
ると、その人から電話が掛かって来たり、その人が直接来られるこ
とは珍しくありません。
 これは今までに出会ったことの無い不思議な方です。

法主さんの出来ないこと、それはテレビの録画と再生です。録画
 の編集などは思いもよりません。携帯電話の番号も入力をされま
 せん。出来ないと言うより興味をもっておられないように思いま
 す。これは録画機や携帯電話の機能の進歩が早過ぎて着いて行け
 ない、不要な機能が多過ぎるのだそうです。

法主さんは愚痴を言われません。冷静に現実を受け止めて、無理
 をされません。羨ましいと言う感情はもっておられないようです。
 それでいて誰よりも御佛様のご守護を強く信じておられ、御霊験
 の中で暮らしておられます。

法主さんはこの十年間、一度も風邪を引かれたことがありません。
 外から帰ると嗽(うがい)をされるとか、手を洗われるとか、と
 ても清潔な方です。それとも、微熱くらいは私の知らないことか
 もしれません。頭痛も肩こりも無いようです。大変に疲労されて
 いても「疲れた」とは口にされないのでしょう。

異常気象は困ったものだ。動物の生域が変わり、不漁が続いたり
 大豆が値上がりしたりする。この十年間に三度もあって、今年が
 最大。とうとう円が百三十円に、厄年厄除けは当分の間、死に物
 狂いでやらなければならないと。

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