如 是 我 聞 −其の六−

                     文責 能島慶華 (96.10.11)

祟りの正体は、心の傷と将来への不安
      幸運の正体は、信頼と堅実な日常生活


 祟(たた)りとか障(さわ)りということを恐れる人が多い。その
ようなことは無いから心配するなと言って上げたいが、現実には人間
の心の底に、恨んだ恨まれたり、憎んだり憎まれたりして、深い傷が
付いていて、その傷が深ければ、修復も容易ではなく、現実の世界に
反映して不幸が現実化する。
 幸運は博打で勝った負けたと言うようなことではなくて、信頼の積
み重ねが良き人間関係になって、積み重ねが幸せという形で日常生活
に反映される。良き人間関係は、誠実の積み重ねである。



■祟(たた)りはあった方が、世間は静かか?
         良心の呵責が障りとなる■


 「ミミズに小便を掛けると チンチンが腫れるのは祟(たた)り?」
▼「苛(いじ)め」の相談が増えているとは申しましたが、ミミズさん
からの相談はありません。法主さんが幼いころは、こんなことも言われ
ていたそうです。
 ミミズさんの供養をしている人が観音院に来ておられます。
▼殺生(せっしょう)してはいけないと言う考え方は拡大解釈をされて
います。本来の意味は「ものを大切にする」、「最大限に生かして使う」、
「ものを粗末にしない」ことでしたが、いつの間にか「魚を釣ってはい
けない」とかトンボなどの昆虫にまで概念が広げられた、これは間違い
だと法主さんは言われます。
 人間の体内だけで数億か、それ以上の細菌、ウイルスなどが存在しま
すが、身に吸いついた蚊まで殺してはいけないというのは、人間の存在
を否定するものです。
▼殺すことによって、良心に呵責(かしゃく)が生じる、殺されたものの
親子兄弟が悲しむ、そのようなことを殺生と限定されています。
▼ただし、大きな意味で、蛍がいないように河川を改修したり、生態系を
壊してしまうような自然破壊も、人間の住む環境を破壊することであると
認識して下さい。

■中絶は殺生か、母体保護のための中絶は母親と胎児の死を比較して、ど
ちらの悲しみが大きいか、関係者の傷はどちらが深いかを考えれば、自然
に答えが出てきます。
 経済的理由や少子化を望む中絶は殺生です。人口のバランスがとれなく
なって、老人を養う若者がいないという社会問題にまでなってしまったで
しょう。殺生です。
 列島改造論は列島殺生奨励論と言い換えることが出来ます。
 バブルの崩壊も大殺生です、多くの人を苦しめ、人々の心に深い傷を付
けたから殺生と断定します。
 戦争による殺傷も当然殺生に該当します。北朝鮮で食料が不足している、
片方には古々米がありあまっている、これも殺生です。

■人の心に傷を刻み込むこと、人の恨みを買うこと、人間にとって住みに
くい世の中をこしらえることは全て殺生です。風邪を引いて抗生剤を飲む
こと、蠅を追うこと、蚊を駆除することは殺生ではありません。「やれ打
つな、蠅が手をする、足をする」は、明らかに殺生の戒律の間違った解釈
です。
▼家庭内で台所を清潔にすることや、殺虫剤を散布することは殺生ではな
く大切な衛生概念です。

男女関係を過つと殺生になる
       別れ方に問題が多く発生する


■不倫をして表面化する。別れ話に進展する。蒸発をする。自殺する。無
断で大きな借金をする。これらは大きな殺生です。相手に深い傷を付ける
からです。暴力は殺生の始まり、嘘も殺生の始まり。別れるために、優し
く言い聞かせて中絶をする、その後に別れ話を持ち出すなんて殺生以外の
なにものでもありません、計画的殺人と言えるかもしれません。
 騙された方も殺生をさせられたことになります。これらの傷は相当に深
い後遺症を残します。
 恨みや祟りが無いと中絶された子供の精霊も、騙された方も心の救いが
ありません。
 中絶した子供さんの「有縁(うえん)供養」は、精霊(しょうりょう)
の輪廻転生(りんねてんしょう)と心の傷を癒すために大切なことです。

▼他人に辛くあたると殺生なことになりかねません。
 法主さんから興味あるお話を聞きました。
法主さんは時々托鉢(たくはつ)に出掛けられます。
 法主さんに塩を撒いたり、犬でもあしらうように「ショイ」とか「あっ
ちに行け」と邪険に扱われた人たち、法主さんは決して遺恨(いこん)を
もったり祟ったりするような方ではありません。ご自分の修行と受けとめ
られています。もっと簡単に世情視察、人情の機微(きび)を知られるた
めかもしれません。
 ところが、何年か経って同じ場所を托鉢して歩かれると、邪険にした人
の家が無くなっている場合が多いのだそうです。
 多分、日常でも邪険なことを多くなされて、他人の心を傷つけて結果と
して一家離散に追い込まれた。自業自得かも知れないと言っておられます。
 法主さんが托鉢中に二階の窓から水を掛けた人がいました。そのような
ことで傷つくような法主さんではありません。
 しかし、その人は、それから毎晩のように「お坊さんに水を掛けた」夢
を見て、ご近所のお寺さんに相談され、こともあろうに観音院に「悪い夢」
を見ないよう祈願をして欲しいと来られたのです。
 法主さんの応接に通しますと、仰天されたのは勿論です。よりによって
水を掛けたお坊さんの寺に来て救急車を呼ばなければならないほど衝撃を
受けられたのです・・・・・。
 その方は、その後、大きく運命を転換されて、大変に優しい人として、
周囲の人も驚くほどに慕われる人になり、自治会長になられて、観音院の
熱心な信徒さんになられました。紹介されたお寺さんも信徒さんです。
 こんなことは余り聞きませんが、観音院にはお寺さんや、そのご家族の
信徒さんも沢山おられます。

■心に深い傷を受けた時に、与えた方も与えられた方も、相手の幸せを願っ
て「万民豊楽(ばんみんぶらく)の祈願」をなされると、自分の心の傷も
相手の心の傷も癒(いや)されます。
 許すこと、許容すること、水に流すこと、詫びること、相手の立場で考
えること、大変に難しいことですが、間に御佛様(みほとけさま)を入れ
ると片づくことが多いようです。
 観音院は急速に発展しました。多くの嫉妬や恨みを持つ人も少なくあり
ません。
 ですが、世間の宗教環境を壊さないように、慎重に配慮しています。過
疎や人の移動で、運営困難なお寺さんの立場を忘れたことはありません。
別院を建てるな、あまり拡張をするなと、何時も法主さんから言われてい
ます。

念ずれば花開く怖さ、人の心を傷つけぬ
         念力で物は変わらぬが人のこころは動く


■観音院に対する要望として、よく大阪や東京に別院を建てようと言う話
が持ち上がります。
▼法主さんは身体が二つも三つも無いから、と身近な例を上げて話をされ
ます。事業とは根本的に異なる性質があるのです。ですが事業展開にも似
たような性質があります。大型店舗が出てくると客が集まる、いや客を取
られてしまうと地元は大変ですね。
 別院を建てるには、相当大きな必然性がいる、別院を建てて信徒を集め
るのではなくて、大阪や東京に信徒さんがそれぞれ二万人くらいになれば
考えようと、とても慎重です。
 拡張には必ずお金が必要です。必要なお金を集めようとすれば努力が要
る。その努力をすることが法主さんには厭なのだそうです。

▼沢山のお金を必要とする大望は立てるな。焦ることはないから、ゆるり
とすること。今も将来も無理はしない。無理をすると人の嫉妬や恨みを買
うことになる。優れた素質を持った宗教者の多くが拡大志向で世間を騒が
せている。謙虚であれば他人を幸せに出来るし、自分も宗教者らしく生涯
を終えられたものを、良い教えであれば自然に広まるものであり、一代で
考えることは無い。
 十代も十五代もの年月、百年も二百年も掛かって成長するのが自然なこ
とだ。死んで、生まれ変わって七度なんて、気の短いことは言わないで、
ゆっくりと成長するのが望ましいと言われるのですから随分と気の長い話
です。
 将来に発展したいのなら現世で善きことを積んで、更に来世に善きこと
を積むことだと言われますから、理解に苦しみます。

■法主さんは祟りを恐れる方で、同時に善きことをすれば、善きことがあ
ると信じておられます。短い生涯で、決算しようと短絡的なことを考える
から、愚痴も出るし運が悪かったと思ったりする。
 災難は善人にも悪人にも平等に振りかかって来る。それは一生涯と言う
短い期間で考えるから言えることで、何度も輪廻転生して十度二十度と考
えれば確実に善き人に善きことがあり、悪しき人には悪しき報いがあると
説かれます。

▼現実に不幸であれば、善根を積めば、運が良ければ現世で善きことがあ
る。不幸だからと言って悪しきことをすれば、運が良ければ現世で善きこ
ともあるだろうが、より不幸になる可能性が高いから悪で終わるなと説か
れます。
 住んでいる土地を大切にするのも、国の安泰を望むのも、地球の将来を
心配するのも、子孫のためではない。自分自身のためだそうです。子孫は
自分の輪廻転生だと考えるのが適切だそうです。
 このような話は丁寧に教えてもらっても、納得は出来るのですが上手く
説明出来ません。


■輪廻転生のことについて、またお聞きしてみました。■

▼人間は死んだら何処へ行くのですか?
▽あの世へ行って次の生を求めて機会を待つことになる。

▼その期間はどのくらいですか?
▽私は百年は輪廻転生しないと皆さんに約束している。私を信じてくれ
 た人を次の世へ導いて上げると約束しているから。

▼あの世は無い、来世は無いと言う人たちはどうなります?
▽無いと思う人には来世は無い。人には来世が無いと信ずる自由がある。
 望まれるままになるのが、その人の霊魂のあり方だ。

▼来世を信じて、善根を積めばあの世でどうなりますか?
▽一念の内に来世に生まれて来ることが出来よう。この世に執着が無けれ
 ばの話だ。

▼執着とはどんなことですか?
▽妻子や親のことが気に掛かったり、家族が深く悲しんだり、誰かに恨ま
 れていたり、前世に片づかない問題がある場合は、それらが全部片づか
 ないと輪廻転生出来ない。

▼自殺するとその霊魂は?
▽大変だろう。関係者の嘆き悲しみ、恨みつらみが無くなるまでは助ける
 ことも出来ず手も出せずに見ていることになる。

▼そのような霊魂を輪廻転生さすにはどうすれば良いのですか?
▽御佛様にすがるしか無い。

▼観音院で供養すれば良いと言うことになるのですか。供養料を出来るだ
 け沢山積めばと言うことになるのでしょうか?
▽気の毒だが「お金」で輪廻転生は買えない。誠実に御佛様に心が通ずる
まで、すがるしかない。

▼自殺した人の葬儀は難しいと言われるのは何故ですか?
▽死んだ人と情を共にするのが難しい、死ぬほどの辛さを解くのが難しい。
 関係者の心を平安にするのが難しい。だから自殺した人の葬儀を引き受
けるのは難儀なことになる。

▼霊魂が迷うと言うことはどんな状態ですか?
▽被害妄想に人間不信、文字通り迷子になったと想像したら、心細い。誰
 彼となく頼って「どうにかしてくれ」と願うことになる。願われた人が
 災難で、俗に「障りがある」と言われる。

▼障(さわ)りと言うのは、どんな状態になるのですか?
▽不幸が続いたり、被害妄想や人間不信に陥ったり、脅迫観念にまとわり
 つかれる。神様とか御佛様に近づこうとする。反対の場合もある、神も
 佛も無いものだと毛嫌いする場合もある。嫌いながらも、疑似的宗教に
 嵌(はま)ることもある。

▼疑似的宗教と本当の宗教はどこで見分けるのですか。
▽それが難しい。宗教は本物でありながら疑似的になることもある。私の
 信仰を振り返っても疑似的なもので、本物とは言えない時期があった。
 純粋になろうと何時も努力している。疑似的にならない組織にしたいと
 願っている。
 宗教は人間が荷なうもので、だから悟ったとか、全部分かったと思うよ
 うなこともあり、傲慢になったり、絶対的な自信を持ったりする。

▼法主さんは本物では無いのですか、疑似的な宗教と本物の宗教が混じっ
 ているのですか?
▽法律的には宗教法人だが、これは、疑似的宗教も、優れて純粋な宗教も
 一括りにして宗教法人として認証される。誠実で約束を守る団体は本物
 的宗教だろう。
▽だから私は周囲を透明にするよう色々な約束を拵えた。運営と経理の公
 開、世襲制の廃止、毎日誠実に法要をすることなど。
▽組織は常に上を向こうとする者と下に向かう者と中間の者たちで構成さ
 れている。いろいろな人たちを集めて「誠実に約束を守る団体」を維持
 することは困難なことだと認識して、謙虚で慎重であるならば、上に向
 かう人が多くなり、下に向かう人も上を目指すようになる。
▽現在は「あなたが私を信頼出来るかどうかで考えなさい。

▼法主さんは何故にインターネットを利用されることを考えられたのです
 か?
▽それは簡単な質問だ、宗教団体は閉鎖的になりがちだ。運営についても、
 財務についても、教義についても、行事についても情報開示をすれば、
 身を正すことが出来る。
▽電話とテレビとFAXを一緒にしたようなものだから、深く考えてはい
 ない。

▼洪水のようなメールはずっと丁寧に応対されるのですか、夜中までなら、
 考えられることですが、朝四時までメールに対応しておられたのが記録
 に残っていますよ。
▽出来るだけのことはするのが本質だが、やれないことは出来ない。出来
 るだけのことをするのがルールです。
▽心配しなくても徹夜したことは一度も無い。すでに日常のリズムに戻っ
 ているのに、つまらぬ心配はしないこと。

▼「掲示板」は一時停止、禅問答の場所ではありませんよね?
▽お喋りのように気軽に使う人がいるからです。「諸行無常」はどのよう
 な意味ですかと二行くらいで気軽に聞かれるでしょう。
▽真面目に対応すると一生涯掛かりますね。今までも夜を徹して語り合い
 たいと希望して来た人を断ったことがありますね。あれはどのような理
 由でしたか?
▼あれは揚げ足取りの論争好きな方でしたね。無限に続くお喋りの性質だ
 ったと思います。言葉も乱暴でした。知らないことだと言われても、そ
 れでは無責任だと言われたりしましたね。自分で考えずに、自分で辞書
 を調べずに、何でも聞く人で、同じことを堂々巡りで、しっこい人で、
 誰も対応出来ませんでした。だからお引き取り願いました。

▽掲示板は観音院に代わって返事をして下さる方があります。どんな人で
 も対応出来る。問題は道路に面した壁に「悪戯書きや猥褻な文書を張り
 つけられるような」ことも覚悟して置くことも必要です。仕事だと思っ
 て1日1回は淡々と掃除しなさい。
▽掲示板は閉鎖したのは掃除が出来る態勢が出来ていなかった。漸く態勢
 もととのったから再開します。あれは面白いし、希薄になりつつある宗
 教を身近にする自浄作用がある。

§掲示板はインターネット上に誰でも何でも書き込めるページを作ること
 です。だれが書き込んだか特定は難しいものです。自由に身分を秘して
 書き込みができます。

▼観音院が出す手紙・文書類は年間約15万通、その他にインターネットの
 ホームページのメールの返事、メーリングリストなどが、簡単なものか
 ら丁寧なものまで全部で年間10万通と予想されますね。一応全部に目を
 通されている。沢山の奉仕の人や職員が手伝ってももう限界ですね。

▼それには当然口述筆記も含まれますね。一度に三種類くらいの異なった
 返事をされて混乱されないのが不思議くらいのものです。
▽混乱はともかくインターネットは1日2万のアクセス(読む人)があっ
 たりして、これは少し落とす工夫をしないと、身体がもたない。一寸抑
 えてみたい、せめて1日2千から3千で良いと思っているから、専門的
 な難解さを加える必要がある。
▼今の10分の1でも、対応が困難が困難です。意見は取り入れるが、一々
 丁寧に対応するのは止めて、運営に反映することにしましょう。
▽結論を出すのは早いから、様子を見ながら対応して行こう。放置してお
 いても人には飽きると言う傾向があるから。

▼そうですね。輪廻転生の話に踏み込んでお聞きしたかったけれど時間が
 無さそうですね。
▽また時間がとれた時に続けましょう。連載ものだから、手に終えない質
 問や、説明はまたの機会に・・・・。


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