05年12月31日現在の鈴之僧正

 この半年の鈴之僧正の変化は奇跡かも知れません。私たちの常識では
では理解できないことです。
 刻苦精励は昔からの習慣ですが、一日に千通以上、その上に寺に居ら
れる時は全ての相談を受けられる、まぼろしと言われるほどお会いする
ことが難しかった法主さんが全部受けられるよう努力しておられます。
希望なされば何方でも法主さんにお会いできます。
 12月中旬には新聞折込38万部、観音院がみるみる活性化してきて
います。急激な発展を遂げて、その中で起きていた様々な矛盾を克服し
て、一応の安定路線にのせられたのですが、落ち着くと安定均衡ではな
くて、拡大緊張に舵をきられました。
 行動も尋常ではありません。東奔西走、決死の覚悟のように見えます
が、それが、疲れに繋がりません。お若いのです。肌は20歳の青年と
変わりません。暴飲暴食を一切なさらず、生活を厳しく律し、もはや年
齢を考慮する必要は一切ありません。
 観音院は緊張しています。職員はピリピリとしています。もしかする
と成果主義になるかも知れません。
 自室で瞑想されていることは朝晩に変化し、その他は信徒さんとの相
談にあてておられます。パソコンは広島でWindows XPのデスクトップを
三台使われていて、寝室に一台、応接に一台、大きなディスプレイのお
客様用が一台、東京にもニ台置いておられる。
 サイドテーブルには必ず経本が置いてあり、朝起きられた時と寝る前
の読経は欠かされたことが無い。
 電話は寝室に二台、応接に二台、寝室二台と直通が一台、携帯はメー
ルも達者でNTTとKDDIの二台を使われています。
 法主さんが若返りをなされた、三十代か四十代の現役バリバリです。
これは大変な事です。
 観音院は若いお寺に生まれ変わります。楽しみですね。役職員は大変
ですね、一生懸命にやらないと置いて行かれます。今年は観音院は平穏
でした。2006年は発展の年と成りそうです。




05年4月18日現在の鈴之僧正

 今年7月には72歳になられる。昨年末くらいから健康を回復されて
痛いところが何処も無いらしい。
 主治医の所に毎日行かれて何かの注射を受けておられいるが、時には
ご自分で運転されている。
 19日から東京に行かれるが、以前のように随行は必要とされない、
一人で飄々と何処にでも出掛けられる。東京広島間は橋を一つ渡るくら
いに考えておられて、苦にされていない。準備も支度もされない。毎月
定期的に21日前後は東京道場におられる。東京ではお弟子さんが大切
にして下さるらしく、幸せそうだ。
 17日は紙屋町のソゴウ百貨店に何かの買い物に行かれ、帰りに横断
歩道を横切る電車の軌道のレールと敷石の間にタンポポが咲いていたと
感激しておられた。
 昨日は信徒さんと繁華街に出掛けられ、パチンコ屋さんに入られて終
了され、同行した信徒さんは始めてパンクしたとかで、大変に喜んでお
られた。帰途は流川筋(繁華街)の天津という古い中華料理店でラーメン
を食べられたとか。
 朝一番に医院、午後三時過ぎてから外出と言うことが一番多い生活様
式のように思える。
 自室で瞑想されていることが多く、応接にまで出て来られない日が多
い。パソコンはWindows XPのデスクトップを三台使われていて、寝室に
一台、応接に一台、大きなディスプレイのお客様用が一台、東京の寝室
に一台置いておられる。
 サイドテーブルには必ず経本が置いてあり、朝起きられた時と寝る前
の読経は欠かされたことが無い。
 電話は寝室に二台、応接に二台、寝室には直通が一台、携帯はメール
も達者で良く使われている。擬音を多用される傾向がある。
 心配事や身体具合の悪い所は皆無らしい。引き受けたことは責任を全
うされている。最近はネットの若いお友達が多いようだ。
 信徒さんから後三十年くらいは長生きをして欲しいと望まれているが、
ああいいよと、本当に百歳まで生きられるかも知れない。明るく希望の
持てる助言をして下さるお方だから、何時までも長生きして戴きたいた
いと皆さん願っておられます。お元気なことは嬉しいことです。


まぼろしの鈴之僧正(すずのそうじょう)

鈴之僧正は健康そのもの、頭痛発熱風邪引かず、腰肩など痛い処が何処も無い。
日々若くなられるようで、観音院精励第一、年齢不詳で不思議な方である。
観音院の法主(ほっす)さんは俗に「鈴之僧正」
と呼ばれている。52歳の 時、突然引退を表明し、
随分昔に観音院の代表役員住職を辞任し、以来礼拝瞑想、に専念されよく、
信徒さんの生活相談に乗っておられる。
最近は毎月東京にも出張され東奔西走の日々である。

鈴之僧正の日常

[総合目次][民の声] [観音院門前町] [ネット霊園] [寺子屋]
[Top][観音院目次]