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十住心論四季の閑話

    秘密曼荼羅十住心論 其の二

                   観自在編集部

 およそ衆生(しゅじょう=この世に生きるすべての生
物)の住居には10の住処がある。
 1には地獄、2には餓鬼、3には畜生、4には人宮
(にんぐう)、5には天宮、6には声聞(しょうもん)
宮、7には縁覚(えんかく)宮、8には菩薩宮、9には
一道無為(むい)宮、そして10には秘密曼荼羅金剛界
宮である。
 衆生の悲運は、自分が帰るべき住処(すみか)が一体
どこなのか、よく分からないところから生じる。だから、
地獄や餓鬼や畜生の世界に沈んだり、4種(哺乳類、鳥
類、魚類、虫類)に生まれ変わり死に変わりして、さま
よい苦しんでいる。
 なぜ自分は、このような、ろくでもない生き物に生ま
れ変わったり、地獄、餓鬼の世界で苦しまなければなら
ないのか、その苦しみの原因を知ろうとしないから、自
分が本当に帰るべき世界が分からないのである。
 如来は、そのような無知な者をあわれまれて、その帰
るべき道をお示しになっている。
 帰り道には真っ直ぐなものもあれば、まがったものも
ある。乗り物にも、遅い車もあれば速い車もある。
 遅い車に乗って曲がりくねった道を行けば、到着する
までに三大無数劫(むしゅこう)というほとんど無限の
時間がかかる。しかし、密教(みっきょう)のすばらし
く速い車だと、時空をあっという間に飛んで、生命のあ
るうちに必ず目的地に到着することができる。
 人間界と天界の宮は、やがて消滅してしまう運命にあ
るとはいえそこに住む者は、地獄、餓鬼、畜生の宮に住
む者たちとくらべれば、まだまだ恵まれていると思わね
ばならない。
 だから如来は、ひとまず人間界天上界の教えを与えて、
さらにその下層の宮で苦しみのたうつ者たちを救おうと
されているのである。
 人間だれしもそうですが、私たちは今よりももっと、
ずっとましで、快適な暮らしを求めて毎日を送っており
ます。その生活におけるいちばん基盤ともいうべき住居
にしても、もっと広くて、清潔で、便利がよくて、環境
がよくて、眺望のよい住居をのぞみ、懐と相談して、と
りあえず現状に我慢したり、あるいは他人様のことを羨
(うらや)んだりしています。
 このように私たちが実際に生活する住居は、お金さえ
ふんだんにあれば、いま住んでいる所から、さらに上等
の所に引っ越すことは簡単です。それらはすべてお金で
解決できることだからです。
 ところが、お大師さまが十住心論のなかで規定されて
いる10の宮は、お金などでは決して買い求めることの
できない「心の住居」なのです。
 だからそれは、その人の精神の澄明度や宗教心の在り
方などが問われ、その審査を経た上でそれぞれの宮に入
居できる資格を得るとされているのです。
 したがって私たちは、自分の精神とか心の在り方、生
き方などはつごうよく棚に上げておいて、今住む所より、
もうすこし上の宮に勝手に引っ越そうと思っても、そん
なことは無理な相談なのです。
 ただ、この場合の10に区分した「心の止住」は、人
間の一般的な精神の発展段階を、佛教的な立場それも真
言密教の立場から優劣を判別し、ランクづけしたもので
すから、第五住心の抜業因種心(ばつごういんじゅしん)
までの住心はともかくとして、第六住心から第十住心の
秘密荘厳(しょうごん)心までの住心については、どち
らが上位でどちらが下位などと断定しないほうがよいと
思います。というのは、これにはそれなりの必然的背景
があるからです。

 天長7年(830)淳和天皇は、法相(ほっそう)、
三論、律、華厳(けごん)、天台、真言の六宗に、各宗
派の教義を詳しく書いて、朝廷に提出するよう命じまし
た。
 その勅命(ちょくめい)をうけて、お大師さまが真言
宗の教義を一冊の本にまとめられたのが、この「秘密曼
荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)」
なのです。
 むろん各宗派を代表する高僧たちも、筆をそろえ「わ
が宗はかくかくしかじか、こんなにすばらしい教義を有
する宗派である」と自宗を美化し、アピールした論文を、
時の天皇に差し出しています。
 したがってこの十住心論は、あくまでも密教の見地か
ら他宗を判別したものであることを知っておく必要があ
ります。
 さらに付け加えますと、佛教からほど遠い位置にある
人々、極端にいえば、神佛などをまったく信じない人々
は、それではどうにも救いようのない人間かというと、
あながちそうも言えないのではないでしょうか。
 ふだん宗教にほとんど関心をもたない人でも、心根の
美しい人、人生を強く正しく生きる人はいくらでもいま
す。
 そういう人たちのなかにも、ご先祖さまをこのうえな
く大切に思い、充実した人生に感謝の日々を送る人はた
くさんいます。
 話が横道に逸(そ)れました。道草ついでにもう一つ。
スイスの著名な心理学者ユングが、「人間五つのしあわ
せ」ということを言っています。
1つ 健康であること。
2つ 良い友人に恵まれていること。
3つ 美しいものを美しいと感じる感性と能力があるこ
   と。
4つ 朝起きて今日しなければならない仕事があること。
5つ ほどほどにお金があること。

 さて、いよいよこれからお大師さまの「十住心論」の
うち、第一住心「異生羝羊心」を拝見することにいたし
ます。
 異生羝羊心(いしょうていようしん)とは、これは普
通の人間でありながら善悪をわきまえることのできない、
そして、こうすればこうなるという原因と結果、つまり
因果の理法をまるっきり信じない無知愚昧な心のことで
ある。
 何事によらず自己中心的で、自分の考えに固執して他
者を認めず頭の中には肥大化した自我がふんぞりかえっ
て、自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの
と、自己の所有欲を際限なく主張してやまない。
 それでいながら、あくまでも自分だけが正しく、他が
間違っているのだ、という誤った考え方をいっこうに改
めない精神の持ち主を、異生羝羊心という。
 このような人を客観的に眺めると、それはたとえば、
のどの渇いた鹿が水を求めて陽炎を追い、炎のきらめき
に誘われて、夜の蛾が火中に飛びこんで身を焼くように
あわれである。
 これはまた、旺盛な食欲と性欲そのことのみを思って
生きているような雄羊と何らかわるところなく、さらに
また、頑是ない幼児が水に映った月が欲しいと駄々をこ
ねるのといっしょで、滑稽ですらある。
 自分とは何か。自分はいったいどこからきたのか。
 自分という存在を、自分自身の内なる眼でとことんま
で見きわめつくし、本来自分というものが「空(くう)」
でしかないことを知るべきである。
 「空」であるそのことをふまえた上で眼をあけ、改め
て周囲を見まわせば、おのずから法というものの絶対的
な正さ、自然界における真理というものがまざまざと見
えてくるはずである。
 法の教えにそむき、世の中の理法にたがうのは、自我
と欲望に引きずり回されているからにほかならない。
 過ちだらけの邪な心で生きていると、行く手には一条
の光明もなく、ますます暗闇に閉ざされるばかりである。
 長くて遠い暗い夜のさきには、暁天(ぎょうてん)に
鳴く鶏の声も聞こえてこない。
 暗雲のたれこめた空に、どうして太陽や月が輝こう。
 こうして最初から誤った道を踏み迷い、あちこち引き
起こさなくても済むような問題や軋轢(あつれき)を生
じながらたどる道の向こうに在る本当の道、悟りの世界
に帰りつく道を見つけだすことができるであろうか。
 人間が生きていることのために味わう火宅(かたく)
の8つの苦しみに直面し、実感しなければ、間違いだら
けの人生を送っていささかの反省もない愚か者に、そう
いう生き方では、罪の報いとして地獄、餓鬼畜生の三悪
道に堕ちるほかないと言って聞かせても、とても信じて
はもらえないであろう。
(火宅の八苦とは、迷いの世界における生老、病、死と、
愛するものとの離別する苦、憎むべき者と会う苦、求め
ても得られない苦、肉体上・精神上の苦の以上八苦のこ
と)

 なお、ここで「異生羝羊心」という言葉の意味をおさ
らいすることにいたします。
 異生(いしょう)は凡夫、すなわちなみの人間で、ま
ちがっても聖者などではありません。
 地獄、餓鬼、畜生の世界に生まれ、その生まれるとこ
ろが、そのつどそれぞれ異なるので、異生とよばれるの
です。
 羝羊とは雄羊のことです。雄羊が異性や食物に対して、
欲望のおもむくまま本能的に行動し、生きている、その
愚かさを異生にたとえて、そうした心のあり方を説くも
のです。
 つまり、人間が一般の動物にも等しい無自覚な状態に
あって、道徳的判断を欠き、社会秩序を無視して、本能
と欲望のおもむくままに生きること、それを異生羝羊心
といい、第一住心とするのです。
 インドでは昔から雄羊のことを馬鹿の代名詞として使
いました。
 雄羊を引き合いにだして、人間のあさましさを手厳し
く批判したというのです。他人事でなく私たちの内面を
覗けば、思い当たることだらけで、誰もこれに異議を差
しはさむことはできないのではないでしょうか。
 京都の佛教大学正門に建てられていた「平成之大馬鹿
門」が先般話題をにぎわせました。これは某彫刻家が寄
贈した立派な門柱でしたが、御影石に刻まれた「大馬鹿
門」の銘が、どうも芳しくない、と学内の一部の意見に
よって返却されることになったのです。
 馬鹿とは愚(おろ)か、サンスクリット語の「痴」、
「無知」からきた当て字ですが、「大馬鹿門」にした意
味は「馬鹿に徹して己を知り、一生懸命生きろ」という
ことだと制作者は言っています。

−雷(いかずち)を捉える話
        『日本霊異記(りょういき)』より−
 小子部栖軽(ちいさこべのすがる)は雄略天皇の臣下、
それも天皇お気に入りの側近であった。
 ある日のこと、朝倉の宮の大安殿(おおやすみどの)
で天皇と后が同衾(どうきん)して婚合している最中に、
そんなこととは知らない栖軽が不用意に入ってきた。
 天皇はすぐ行為をやめたが、バツのわるいその場の雰
囲気はどうしようもない。その時雷が鳴った。
 ほっとして天皇は「お前にあの雷を呼んでこれるか」
と栖軽にいう。「呼んでこいとお命じなら」ということ
で、栖軽は宮を退出すると、赤い鉢巻きをきりりと締め
赤い旗をかかげて馬に跨がった。
 そして飛鳥路に馬を駆けさせ、人々でにぎわう大軽の
市まで行き「天の鳴神やーい、わが大王がお召しだぞい
!」と呼ばわった。しかし何の応答もないので、また馬
を返し、走りながら怒鳴る。「わが大王の言いつけに背
くと、雷神だとて、このわしがゆるさんぞ」。
 その時、馬首の彼方の岡の辺に雷が落ちた。
 それを見た栖軽は神主を呼ぶと雷を竹で編んだ乗り物
に押し込め意気揚々と朝倉宮に戻ってきた。
 「ご命令どおり、雷神を召しつれてまいりました」
 天皇が見ると、雷は目をあけていられないほど眩しい
光を放っている。
 天皇はたたりをおそれて、神様にお供えを山と積み、
雷を落ちた元の場所へ返してやった。
 やがて歳月が過ぎて栖軽が亡くなった。
 彼の死を悼んだ天皇は、7日7夜の殯(もがり)をし
て栖軽の忠勤を偲び、雷の岡にその墓を作ってやった。
柱の碑文には「雷を取りし栖軽の墓」と書かれていたと
いう。ところが、くだんの雷は、どうにも栖軽のことが
憎くて腹の虫がおさまらない。
 だから折りにふれては天を轟(とどろ)かし、鳴り落
ちて、栖軽を称えた碑柱を踏んだり蹴ったりしていたが、
そのうち、とうとう裂けた柱の間にはさまってしまいま
たぞろ捕まった。
 天皇はその話を聞いて、雷を放してやれ、と命じた。
 こうして雷は無事解放されたがしばらくはぼんやりと、
栖軽の墓にとどまっていたそうな。
 それから日足らずして天皇の使いが来て、新しい碑文
の柱を建てていった。
 柱にはこう書かれていたという。
 「生きても死んでも雷を捕えし栖軽が墓」
 いわゆる飛鳥京の頃に名づけられた「雷(いかずち)
の岡」の語源は、この話が原典とされている。


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