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[駆け込み寺 楽書帳]


十住心論四季の閑話

−弘法大師著「秘密曼荼羅十住心論」より 其の五−

                     観自在編集部

第二住心「愚童持斎心」

 愚童(ぐどう)とは、まだ年端(としは)もゆかない幼児のこと。持斎
(じさい)は、斎(とき)を持する意味で、自分の食物を減らしてまでも
他の人に施(ほどこ)すことです。
 道徳、倫理についてまったく無自覚であった「異生羝羊心(いしょうて
いようしん)」から一歩前進して、自分のなかに善悪の感覚が生じ、はじ
めて人間らしい心のめばえを「愚童持斎心」とお大師さまは規定されてい
ます。

 愚童持斎心とは、すなわち一個の人間として、やや善への心が兆(きざ)
し、本来人間が心の根底に具(そな)えている佛性(ぶっしょう)の存在
に気づきはじめた段階である。
 自(みずか)らの食物を減らして、それを人々に与えることに喜びを感
じ、親しい人・疎遠(そえん)な人のわけへだてなく施(ほどこ)しをす
る。欲張り高望みしないで、すこしばかりの物で満足するゆとりと、ほど
ほどという意味をわきまえ、足(た)るを知る心がしだいに起こる。
 過(あやま)ちに気づけば必ず改め、徳の高い人を敬(うやま)い、賢
人を見てその人のようになりたいと思い、はじめて因果(いんが)の道理
に思いあたり、善(よ)いおこない悪いおこないの報(むく)いが分かる
ようになる。
 両親に孝行をし、正しく生きることの大切さを思う。善を見てまだまだ
及ばない自分を反省し、悪に対しては、熱湯の中に手を入れ、急いでひっ
こめるほど敏感な拒否反応をしめす。
 佛の教えに帰依(きえ)する心は、こうした道徳、倫理のめざめによっ
て起こる。つまり種子、萌芽(ほうが)、芽葉(がよう)、葉、花、果な
ど、心が次々と善いほうへ向上していく。
 雄羊にたとえられる心象(しんしょう)風景も、たちまち春の園のよう
な美しい景色に変わり、異生(いしょう)にたとえられる石ころだらけの
田圃(たんぼ)はたちまち秋の実りを結ぶ。
 このとき三悪道を脱却(だっきゃく)して人間界、天上界、さらには生
死界(しょうじかい)を解脱(げだつ)して出世間(しゅっせけん)、す
なわち声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)、菩薩(ぼさつ)の教えの
階梯(かいてい)を昇る足がかりをつかむことになるのである。
 大日如来はお説きになる。
「また次に秘密主(ひみつしゅ)(金剛薩捶・こんごうさった)よ。愚か
な幼児なみの者は雄羊にひとしい。が、あるとき心の温もる思いに突き動
かされることがある。
 それは持斎(節食)である。その者は、自分に生じたわずかな善意に感
激して、それを実行する。
 秘密主よ、これは善きおこないの第一の種子である。これによって六斎
日に父母、男女、親戚に食物を施す。これは第二の萌芽種の心である。ま
たこの施しを、一面識もない他人に分かち与えるのが第三の芽葉種の心で
ある。またこの施しを、才能にすぐれた徳の高い人にするのは第四の葉種
の心である。この施(ほどこ)しをすすんで芸術家や長老にささげるのは
第五の敷花の心である。この施しをいたわり、慈(いつく)しみの心で、
すべての人に供養するのは第六の成果の心である」と。

三帰戒(きかい)、五戒、八斎戒の詩

嬰児(えいじ)に母が居なく
子牛に母牛が居なければ
飢えた狼が牙(きば)をむいて群がり
生命はまっとうできない
生きものは佛に帰依しなければ
悪鬼がやってきて取り囲む
己にうちかち三宝に帰依すれば
あえて諸天はこばまない
五戒をまもって犯さなければ
よい来世を約束される
八斎戒をよく実践すれば
人間界と天上界は光りかがやく
地獄、餓鬼、畜生の世界を
どうして怖れることがあろうか
諸佛はつねに威光に満ち満ち
天上界に昇るか地獄に堕ちるかは
他人の関与するところでない
衰えるか栄えるかは
自分自身の善悪の行為いかんにかかっている

 自分の食物をけずって節食したり、断食などして精進潔斎(しょうじん
けっさい)につとめれば、やがては佛法僧(ぶっぽうそう)の三宝に帰依
することをねがい、修行の方向にむかう。
 五戒、八戒、十善戒は、その修行の延長上につらなるものである。
 佛は、文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)のために三帰依を説き、末
伽利拘余梨子(まがりくしゃりし)のために五戒を説き、伽梵波提(かぼ
んばてい)のために十善戒を説き、提謂長者(だいいちょうじゃ)のため
に六斎を説いた。
 三宝への帰依は邪悪を捨てさせる。五戒はその人の悪行(あくぎょう)
を防ぐ。十善戒(じゅうぜんかい)はその人に貴い心をもたらし、六斎は
その人に安楽を得させるのである。

 次に五戒を明らかにしよう。
「そもそも五戒は、中国の典籍(てんせき)にある五常の教えと同じであ
る。憐(あわ)れんで殺さないのを仁(じん)といい、男女の倫(みち)
を乱さないことを義といい、心に酒を禁ずるのを礼といい、悪を憎んで盗
みをしないのを智といい、道理でなければ語らないのを信という。かりそ
めにも欠けることなく、瞬時も忘れてならないから五常というのである。
 天空においては五星[木星、火星、金星、水星、土星]、方角において
は五方[東西南北中]、人体においては五臓[肝肺心腎脾]物質において
は五行(ごぎょう)[木火土金水]で、これを保つのが五戒である。
 儒教は『論語義疏(ろんごぎしょ)』でいう。
「五行では、木を仁とし、火を礼とし、金を義とし、水を信とし、土を智
とする。この五気をうけて人が産まれると、もれなく仁義礼智信の性質が
そなわる。
 人に博愛の徳があるのを仁という。厳しく律する徳があるのを義という。
他を尊び、自分を卑下(ひげ)して人に譲ることをわきまえる徳があるの
を礼という。言葉に真実の徳があるのを信という。物事を明らかにする徳
があるのを智という。この五つは、人が生まれつき持っている徳性である。
少しの間もおろそかに思ってはいけない。だから五常という」

 * 五常五戒の配当 *
   仁−殺−木−東−肝
   義−婬−金−西−肺
   礼−酒−火−南−心
   智−盗−水−北−腎
   信−妄−土−中−脾

『天地本起(ほんぎ)経』は説く。
「天地の始まりのとき、人は野生の食物をさがした。一人の欲張りが居て
五日分の食物を独占したので、盗みの戒(いまし)めを定めた。食物を争
い、貪(むさぼ)る心が生じたので男女の道の戒めを定めた。愛欲のゆえ
に互いに欺(あざむ)き奪ったので、殺すことの戒めを定めた。求めるた
めに平気で嘘をつきおもねるので、嘘をつくことの戒めを定めた。飲酒す
ることによって非行をはたらくので、酒の戒めを定めた。
 五つの戒めの歴史は古く、その始まりは天地創造の頃にさかのぼり、万
物(ばんぶつ)の形がまだはっきりしない時代、すでに五戒は存在してい
た」

 五戒を受けるには、順序としてまず佛(ほとけ)に帰依(きえ)し、法
に帰依し、僧へ帰依して三帰を終え、そのうえで五戒を受けるべきである。
 在家の信者が守るべき五つの戒めとは不殺生(ふせっしょう)、不偸盗
(ふちゅうとう)、不邪淫(ぶじゃいん)、不妄語(ふもうご)、不飲酒
(ふおんじゅ)のことである。
 もし、このうち一つの戒(かい)を受ければこれを一分(ぶん)と名づ
け、二つ三つの戒を受ければこれを小分と名づけ、四つを受ければ多分と
名づけ、五戒の全部を満分と名づける。
 この中のどの分を受けようとも自由であり、昼に受けようと夜に受けよ
うと、わずかばかりの善を得るであろう、と佛典はいう。
 その好例が次のような話である。
 ある女性がいて、夜になると情欲をほしいままにして飽くことを知らな
かった。そこで願って昼の戒を受けた。するとこんどは昼は快楽を得るか
わりに、夜の間じゅう苦しみつづけることになった。
 また、ある猟師が昼はせっせと獲物を殺していた。そこで思い立って夜
の戒を受けることにした。すると夜は多くの快楽を得るようになったが、
昼間は苦しみを受けることになった。
 自分の精神と肉体を、あえて昼と夜に区分して戒を受ければ、当然この
ような行き違いが生じる。 だから、わずかばかりの善というのである。

 五戒について次のような示唆(しさ)に富んだ説話がある。
 五戒のうちの、どれが実戒なのであろうか、という問答(もんどう)で
ある。
 いわく不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語の四つは、行為そのものを罪と
していましめた戒であり、もう一つの不飲酒は、他の罪を誘発しやすいか
ら、それをいましめた戒である。
 飲酒を他の四つの戒に結びつけて五戒とするわけは、飲酒は怠け心の元
凶(げんきょう)であり、よく他の戒を犯すきっかけとなるからである。
 迦葉(かしょう)佛のときに、在家の男性の信者がいた。彼は酒に酔っ
て、他人の妻を犯し、よその家の鶏を盗んで、殺した。人がやって来て詰
問(きつもん)すると、盗んでいないと嘘をついた。
 このように、飲酒はつぎつぎに罪悪を積み重ねるのである。
 もし、五戒をたもてば、二十五の善神(ぜんしん)がつねにその人を左
右から守護(しゅご)し、家の門口(かどぐち)の上に在(あ)って、さ
いわいをもたらすであろう。


「烏(からす)の邪淫を見て世を厭(いと)い 善を修する縁」
               『日本霊異記(りょういき)』より

 禅師信厳(しんごん)は、和泉(いずみ)の国泉の郡(こおり)の大領
(役人)であった。出家する前の名は血沼県主倭麻呂(ちぬのあがたぬし
やまとまろ)といい、聖武天皇の御世(みよ)のひとである。
 この大領(だいりょう)の家の門に一本の大きな樹があり、そこへ烏が
巣をかけて、卵を抱いて大事に温めていた。
 雄烏はあちこち忙しく飛んで獲物をもとめ、抱卵(ほうらん)する雌烏
に与えていた。
 そんなある日のことである。
 雄烏と入れ代わりに、飛んできた余所(よそ)の烏が、卵を抱く雌烏と
婚(つる)んでしまった。
 誠実な夫烏を裏切って、余所の烏と姦通(かんつう)した妻烏は、その
相手が気に入ったのか、もうじき雛(ひな)にかえる卵を置きざりに、間
男(まおとこ)烏とどこかへ飛んで行ってしまった。
 やがて食物をくわえて帰ってきた夫烏が巣を見ると、居るはずの妻烏の
姿がない。不審(ふしん)に思いながらも夫烏は食物も摂(と)らずに、
妻烏に代わって不慣れな抱卵をつづけ数日が過ぎた。
 門の樹の烏の巣の異変に気づいたのは大領であった。彼は家人を樹に登
らせて巣の様子を見させた。
 そこには、ついに孵化(ふか)せずじまいの卵と、夫烏のむくろが風に
吹かれて転がっていたのである。
 その有様を目にした大領は涙にくれて悲しんだ。夫烏に不貞(ふてい)
をはたらいた妻烏の邪淫は、人の世でもしばしば起こることである。
 人間の醜(みにく)い行為を、烏まで真似(まね)するこの世の中に、
ほとほと嫌気がさした大領は、それからほどなくして官位を捨て、妻子を
捨てて出家(しゅっけ)した。
 大領が師と仰(あお)いだのは、奈良薬師寺の僧、行基(ぎょうき)大
徳であった。
 法名(ほうみょう)は信厳、彼は敬慕(けいぼ)する行基大徳のもとで
一心不乱に佛道(ぶつどう)の修行にいそしんだ。
 そして折りにふれて、「私は、師大徳が死を迎えるときには一緒に迎え、
必ず共に西方浄土(さいほうじょうど)に往生(おうじょう)するのだ」
と、師の行基大徳や周(まわ)りの者に言っていた。
 一方、家に取り残された大領の妻だが、この妻もまたよくできた婦人で、
慎(つつし)みぶかく、貞淑(ていしゅく)な女性であった。家を守り、
一人息子を大事に育てていたが、その愛児が病気になって、いよいよ臨終
(りんじゅう)のとき、その息子が苦しい息の下から母に訴えた。「お母
さんのお乳を飲ませてもらえば、あれでも私の命は永(なが)らえるかも
しれません」
 母は息子の最期(さいご)のねがいを聞いてやろうと、出もせぬ乳房を
死にゆく息子の口に含ませてやった。
 息子は母の乳房を吸いながら嘆く。「ああ、こんなにおいしいお母さん
の乳の味も今日かぎりに、私は死んでいくのか」と、涙を流しながら息を
ひきとった。
 一人息子の成長だけを唯一(ゆいいつ)の生きがいにしてきた大領の妻
は、そのいとし子さえも失って俗世(ぞくせ)の未練(みれん)もついえ、
ふっつり髪をおろして、夫の大領と同じように出家してしまった。
 さて信厳禅師(ぜんじ)だが、彼の願望であった「行基大徳と共に往生」
のことは、師大徳との縁が薄かったせいか、自分のほうが先に命を終えた。
行基大徳は弟子(でし)の死を悼(いた)み、歌を詠(よ)んで信厳を偲
(しの)んだ。
 烏といふ大をそ鳥の言(こと)をのみ
          共にといひて先だち去(い)ぬる

 烏というばかな鳥が、言葉では一緒にと言いながら、私より先に死んで
しまった。
 烏の卑(いや)しい行為を目撃して、大領は発心(ほっしん)した。佛
(ほとけ)は人間に、善の所在を示す方便(ほうべん)として、人間を含
め、さまざまな生き物の卑しい行為を見せつけて反省を促(うなが)す。
欲望の世界を嫌う者はいち早くそこからぬけだして佛道に志(こころざ)
し、欲界に執着(しゅうじゃく)する愚か者は醜い行為をむさぼり続ける。
 大領は烏の邪淫(じゃいん)を見て俗塵(ぞくじん)を厭(いと)い、
つねに佛の教えに従って善を勤修(ごんしゅ)し、極楽浄土に往生する時
を心に誓った。この世を厭(いと)い浄土を願うということでは秀(すぐ)
れた人であった。


前稿/其の四次稿/其の六


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