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  ミニミニ観自在 1997年11月

                     観自在編集部


  WFC(ワールドフレンドシップセンター)のご紹介

「ワールドフレンドシップセンター」と言えば、国際的に有名な
平和団体でバーバラ・レイノルズさんが設立されて30年にもなり
ます。
 その事務所が、観音院の横の道路を川に向かって30メートルの
ところにあります。
 歴代館長はご近所さんということもあって時たま寄られます。
 最近、アメリカから来広着任されたチャールズ・アルバート館長
ご夫妻も観音院に遊びに来て下さいます。
 観音院はTRUTH&MERCYが運営の基盤、真実と慈悲です。
法主さんが「全てに愛を光と祈りを−」を日常生活の基盤とされて
いることも皆さんご存じの通りです。

 WFCの理念は「一個人が平和を実現するため何が出来る。また、
それをしなければならない」という思想に基づいています。そして
「真実」と「愛」こそが私たち、一人一人の心のなかにある平和の
願いを更に大きく発展させる、究極的な力であり、また、その力に
よって平和への願いを他の人々に広く伝えることが出来ると信じて
います・・・
ですから、観音院でいろいろ相談した結果、WFCに可能な限り
の協賛をさせて頂くことになりました。
WFCは「宿泊の提供」「平和交換使節」「英会話クラス」など
いろいろあり活発に活動されています。
皆さんにも協力をお願いしたいと思います。
スポンサー会員年額1万円・賛助会員5000円・学生会員2000円など
です。よろしく。


   予告出来なかった「たまごっち供養」
     10月5日の参詣者200名にプレゼント

10月5日、午前十時の法要で、人形や「たまごっち」の供養を
合わせて行いました。
観音院で「たまごっち」の供養をしておられる方は約1万5千人、
皆さんは何故このような供養などするかと疑問に思われるかも知れ
ません。
子供さんが交通事故などで亡くなられて、何時も身に付けていた
持っていた「たまごっち」を見るに忍びない、形見で残して置くの
も、心が痛むと言われる方や、いろいろな悲しい思い、愛着、深い
思い入れもあります。

「人形」にも、同じ場合があります。家に置いておけないからと
お寺におさめられる場合が少なくありません。
同時に日本人には裁縫で使われた針を豆腐に差して「針供養」を
するような心優しき性格があります。

人形も永年可愛がっていて我が子同様にされていた方が観音院に
納められるに当たって嫁入り衣装一式を調えられた場合もあります。
これについては知り合いの方からお祝いの水引が掛かった熨斗袋が
添えられて、1カラットのダイヤの指輪も持って来られました。
 そのダイヤは現在は御佛様の象眼(ぞうがん)として付けられてい
ます。衣装は本当に結婚されるご縁があったお嬢さんに差し上げま
した。20年も大切にしておられたのです。

10月5日午前十時に参詣された方、200名さまに「マメたま
ごっち」を全員にもれなく差し上げました。先月号でお知らせした
かったのですが、大混乱になるのは必定(ひつじょう)で、止む得ず
「ご縁」がある方は来られるだろうとさせて頂いたような次第です。


 たまごっち問題

「たまごっち霊園」と言えば観音院が日本一です。ところが色々
と現代社会の一面と密接に問題がありました。
 たまごっを飼う?ことで、疑似的な母親体験が出来る。そこから
ストレスの解消とか、淋しさを紛らわせることが出来るとか、色々
と世間の皆様には深い思い入れがあるようです。
そして死んだ「たまごっち」に疑似的な死、同時に輪廻(りんね)
を身近に感じられる、そのような感情を大切にして今般、合同供養
を執行いたしました。


		
		
  Ai's Eye(藍さんの目から見た日本とアメリカ)    −藍さんはアメリカのロサンゼルスにお住まいの主婦です−  唐突ですが、「ちょいと、そこのおばちゃん、どいてんか!」 と心で叫びたいようなことが、毎回帰国して初めの一週間くらいに、 頻発する。  スーパーやデパートの入口で、堂々と、そして、ぼんやり立って いる人が多いのは…。  お店に入ろうとすると、その方向に動く人がいるんだ、これが。  こちらは多少、アメリカナイズされているから、頬笑みを浮かべ つつ、「失礼」とか云いながら、通ろうとしているのに、余計怒っ たような顔をされる。  もっと酷いのは、この小さい私が渾身の力を込めて、重いドアを 開けて入ろうとしている時、「・・・んまぁ」、要領よく、すっと 入ってしまう人がいる。「ありがとうくらい云えんのかい」、とま た「心」で呟く私なのです。  それがどうだろ、計ったように、丁度二週間くらいすると、すっ かり様子は一変する。 「どけぃ、どけ、どけ!!」と「心」で言っているもの。 勿論、ドアなんて、自分で開けないよ。 人が開けているとこに、 すぃ〜っと入る。但し、お返しに「にっこり」笑う位の節度は残し ているつもりだけど。  多分、日本って、忙しすぎるのね。 「お先にどうぞ!」なんて 言っていた日には、いつまで経っても埒(らち)があかないのだろ う。  でもでも、外国に出たら、ちょっとは余裕を持って、「ありがと う」とか、「にっこり」くらいはしてねっ。  間違っても、次に入ろうとする人の鼻先に、ドアをぶっつけるな んて止めてね。( "Ai" from Los Angeles )
   ご縁があればこそ 気が早いようですが、観音院は今、「お正月の初詣」と「節分」  のお待ち受け準備で大車輪です。  プレゼントだけでも5千袋か1万袋は用意しなくてはなりません。  萬倍ダルマさんも、数千体はお越しになります。 お守りは特別ていねいに取扱います。歳月流るる如しと言われま  すが、「及時当勉励、歳月不待人(時に及んで当に勉励すべし、  歳月は人を待たず)」年月は、人の都合にかかわらず過ぎて行っ  て、少しの間も止まらない。今の時を大切にして努力しなさいと  法主(ほっす)さんに言われました。 いっとき一日、その時、そ の時を大切に、後悔しないように、  前向きに考えて過ごすよう努力しています。 お守りを仕立てる時は、沢山のお守りと考えていません。  この世に生まれて来て、ご縁があって寺に来させて頂き、一つの  お守りを仕立て上げるご縁を有り難し、と思いながら、精根込め  て作務(さむ)をします。 人との出会いも、お守りを仕立てる心掛けと同じです。  ご縁があってお会いして、そしてお話をすることが出来る。ご一 緒にお茶を飲み、時にはお食事する。  一期一会(いちごいちえ)のご縁(茶会の心得の言葉で、利休の 弟子宗二の「山上宗二記」に「一期に一度の会」とあります) 。 その意味は、生涯にただ一度しかお目にかかれないくらいの貴重な 部分、二度とないくらいの大切なご縁と受け止めることです。一生 に一度限りであることと思えば限りなく貴重です。 これが法主さんの人間関係の基本的言動です。私たちも見習いた いと努力しています。  もう二度と会えないかもしれないと思うような万感の思いをもっ て接遇されます。  特に最近の法主さんは、命懸けで皆さんと接しておられるように 思います。観音院の基本姿勢です。

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