如是我聞 其の五

                  文責 能島慶華

 いじめで子供が自殺することがある、死ぬまで追い詰
められた子供の気持ちを思うと、想像することもできな
いくらい痛ましいことだ。
 ところが、この子供が遺書を残していて、その遺書で
いじめをしたと名指しされた子供の親が自殺してしまっ
た。自殺した子供の葬儀にも行き、学校で事情を尋ねら
れ、警察からも聞かれていたらしい。
 以前にもあった怖い遺言状効果だが、人を追い詰めて
農薬を飲ませて自殺させることもあった。
 これは、関係者にとって辛いことになった。観音院に
もいじめの相談は多いが、自殺者だけは出したくないも
のと考えさせられた。

 −弱いものと強い者に2極化
      皆に「強い心」を持たせたい−


泣きながら書いたかもしれぬ
     走り書きのような遺言の話

▼「苛め」いじめの相談が増えていて、決して減ってい
ない、これだけ「苛め」が社会問題となっているのに、
一向に減りそうもない。
 それ以上に死にたいと言う人も多い。慰めても、相手
が納得したようでも安心できない。

■よる11時ごろ電話があって、「親が商売に失敗して、
私は短大を止めることになった。働くのは嫌だし、外に
出るのは恥ずかしいし、いっそのこと死にたい」と言う。
2時間くらいも話しただろうか、泣きながら話していた
のが、やがて笑うようにもなった。
 親の名前も住所も電話番号も教えてくれたので、落ち
ついてくれたと信じた。
 明日は必ず伺いますからと言ってくれたので、一安心、
ぐったりとして寝込んでしまった。
 翌朝、警察から電話があって、飛び降り自殺という。
遺書とは言えない走り書きがあって、観音院で葬儀をし
て欲しいと書いてあったとか、連絡を受けて飛んでいっ
たが、どう言う関係か、などと調書はとられないまでも、
一応の事情は聞かれた。
 親も駆けつけて、葬儀は内輪にすませたが、両親や兄
弟の嘆きは見ておられなかった。
 この話には伏線がある、最初は保険の話だった。ある
一定の期間ほど保険金を払い込むと、自殺でも保険金が
給付される契約のものがある。それは相談の中で確かに
聞いたが、途中で元気そうになったので、安心して、忘
れてしまっていた。

 −彼女は生きることより保険金を
     家族に残すことを選んだ。−


▼「死んで花実が咲くものではない」と言うのは何時も
のことだが、こんなに凄い失敗をやると、自分の説得力
の無さと、後悔とは違う無念さが今でも深層心理に深く
刻み込まれている。と法主さまは悲しそうに話された。
 走り書きでも遺言は間違いなく遺言、生きている内に
声だけ聞いて、葬儀を執行する。遺言効果が10年以上
続いている。今もって胸にずっしりと重みが残っている
のは、まさか迷っているとは思わないが供養を続けてお
られます。

−あんまりだと言いたくなる 
      死んで潔白を証明する遺言−


■これは凄すぎると私たちも思うような遺言を書いた人
がいます。
 サラ金を返すために使い込みをして、どうしたら良い
かと相談に来られて、「経営者に事情を話して、月賦で
返させてもらいなさい」と助言をして上げていた人が、
使い込みを見つけた部下を名指しで犯人として遺言を社
長宛に残して死なれた方があります。
 名指しされた方が社長さんと一緒に来られて「どう思
われるか」と聞かれても、返事のしようがありません。
本当なら何のために相談に来られたのか、その部下は穴
埋めを早くするように助言、あるいは責めたのかもしれ
ません。
 もしかすると本当に部下が使い込んでいたのか。社長
が言われるには「死んだ人しか伝票操作はできなかった
が、当人が遺言にまで書いているくらいだから」と気の
毒そうに部下を見ておられます。
 社長さんは「死ぬほど思い詰めていたのなら、相談し
てくれれば死なせはしなかったのに」と言っておられま
した。死んだ人の後を継いだのは使い込みをしたはずの
人です。金銭的に言えば有耶無耶でだれも責任をとった
人はありません。
 この社長さんは相当にできた人で遺書のことも、金銭
の疑惑も一切遺族に話しておられません。
 もし話していたら、遺族は名指しされた人を恨んだこ
とでしょう。
 退職金も規定通り遺族に支払われたそうです。ですが、
この場合も保険金は会社も遺族もともに受け取られてい
ます。
 保険は大切な考え方だが人間が死ねる動機、支えにな
るかもしれない、どう考えて良いか分からないと言って
おられます。
 それでも、後味は悪い思いはしましたが、あまり気に
掛かりません。社長さんの人徳のせいでしょうか、亡く
なられた方も成佛されたのでしょう。
■観音院は職員になって半年もすれば大体、評議員に任
命されて住職や法主さんよりは大きな権限をもつように
なります。経営者の仲間入りで疾病事故対象の保険契約
がされています。もちろん死んでもらっては困ります。

■遺言電話は受ける方も辛い■
 これは法主さんを相当苦しめた遺言の話です。
 お友達が機嫌良く電話されてきて「何かがあった時は
女房や子供を宜しく頼む」とのことで、「何を言ってる、
お互いさまだ」との遣り取りの翌日に子供さんから電話
があって「父が今朝方亡くなりました」。
 あまりのことに法主さんも仰天されて「昨晩の電話は
何だったんだろう」というようなこともありました。
 遠方のお友達で葬儀に駆けつけるのがやっと。ところ
が帰られた法主さんが憮然としておられる。
 わけを聞くと「自殺だから」と当分の間、口もきいて
下さらない。
 これも多額の保険が掛けられていたとか、「自殺する
前に別れの電話なんかしてくれねばよいものを」と嘆い
ておられました。

■法主さんが亡くなれば相当な保険金が支払われますが
「死ぬに死ねないようなことをしている」と相当ご機嫌
が斜めです。
▼人が死ぬことで多額のお金が入ることが「もしかする
と死にやすい状況を作っているかもしれない」と思うよ
うなこともあります。
 それ以上に心配なことは、大人も子供も自分の命を大
切にする考え方が希薄になっているのでは無いかと心配
されます。

■自殺した人の遺言は、いろいろな意味で遺言を見た人や
聞いた人を拘束します。なぜ、どうして、止められるもの
なら駆けつけたものを。
 相談に乗って死なせずに済むものなら、どんなにでも
都合はつけたものをと、関係者を精神的に追い詰めます。
 こんなことを言うのは薄情ですが、死ぬのなら、遺言
も残さず、電話も掛けず、勝手に死んでほしいとふつう
は思いますが、法主さんは相当悩まれ反省し、どうすれ
ば良かったのかと自分を責めておられます。
▼自殺した人が残したお金は残された方々にとっては、
無いよりはましです。ですが、涙で振り込まれた金額を
見るよりは、生きていて欲しかったと全ての遺族は言わ
れます。生きていれば、たしかに辛いことも悲しいこと
もある。ですが、生きていれば希望も持てますし、喜ぶ
こともできるのです。それを定命とか、運命とか、その
ような言葉で慰めてはならない、でもご遺族にはそのよ
うにしか慰めようがありません。
▼葬儀の時に遺族に対する慰めの言葉は「ご愁傷さまで
す。お悔やみ申し上げます」しかありません。
 葬儀が済んでも、しばらくは遺族は放心状態、どうし
て良いか分からない。
 場合によっては外出するのも厭だし、話もしたくない。
極端な場合は一家離散、移転引っ越しを考えておられる
場合もあります。
▼どんな慰めの言葉も虚しく聞こえるものです。そのよ
うな時に、故人が「良い人だった」とか「惜しい人だっ
た」と慰めて、何の役に立つことでしょうか。
 黙って見守って上げることが、一番の思いやり、遺族
の立場で考えて上げることです。
 相談を受けたら、できるだけ親切にして上げたいもの
です。
 家族の一人を失った場合は、どんなに保険金が入ろう
と、死んでくれて良かったなんてことは絶対にありませ
ん。

■死ぬことは大変なことです。ですが、死を賭けて書い
た遺言が全て真実ということはありません。もちろん、
遺言に嘘が多いと言うつもりもありません。死ぬことを
考えながら書かれた文書や電話などは、それに関わった
多くの人の心を長い期間、責任が有ろうと無かろうと拘
束、または制限、後悔を与えることがあり、遺書や遺言
電話を受けた人を苛めることになりかねません。
▼日本人には生き恥をかくよりは死んだ方がましと言う、
あってはならない考え方があります。
 どんなことがあっても自殺はしない、自殺をされた人
の葬儀や供養は僧侶も辛いのです。

▼しかし、悩み事や困り事の相談ならともかく、言い残
し電話や遺言電話、お別れ電話は、職員には無理です。
法主さんでも電話恐怖症になりそうだと言われるくらい
責任が重く、それでも自殺を防止したいと願って、取り
組んでいます。
▼自殺をくい止めたことは何度もあります。すでに薬を
飲んでいた人を救急病院に担ぎ込むなんてこともありま
す。ですが、救急車を呼ばずに自家用で医者に連れて行
くことは禁止されています。
 搬送の途中で適切な手当てをしないと間に合わないこ
とがあるからです。
 遠方の場合は「自殺と察知した場合は」警察に連絡す
ることになります。人を助けるためには、自殺仕掛けた
人のプライバシーや近所の手前を考えて上げる余裕は期
待しないで下さい。
 一度は助けた人が病院から脱走して自殺された場合な
どは、私たちに救いがありません。
▼死にたいと思ったら電話して来なさい。そう思うこと
が「魔が差したような状態で」、話して下さることで、
気が変わった人はたくさんおられます。
 私たちの力では無くて、御佛様のご守護だと思います。

 −加害者の立場に立たされた時
      くよくよせずに相談に来なさい−


■私たちは「いじめ」の被害者の相談にも乗りますが、
不幸にして加害者になってしまった人の相談にも乗って
います。
▼業務上の過失傷害、過失致死、その他、生きている以
上は、人は他人になんらかの迷惑を掛けて生きていると
言っても過言ではありません。
 車の事故で相手が死んだり怪我をさせた。自分の子供
が他人様の子供さんを「いじめている」。
 喧嘩で怪我をさせた、運が悪いと打ち所が悪くて相手
が死んでしまい、自分も死にたい。
▼子供が遊びに夢中になって、振り上げた竹が近所の子
供に刺さって失明した。何れも只事では済みません。弁
護士さんが必要になります。ところが弁護士さんと日常
付き合いがある人は少ないようです。そのためにだけで
はありませんが、観音院には、有能な顧問弁護士さんが
待機しておられます。
▼法律的なことは弁護士さんに任せておくとしても、慰
めるには弁護士さんに期待するのは、ご多忙で無理なお
願いです。
 法律的なことは僧侶の手に余ります。慰めたり、力に
なるのは私たちの大切な役割だと思っています。死んだ
人を生き返らして戻してくれ、傷痕が残った人を元通り
にしてくれと言われてもできないことです。
 だからと言って死んでお詫びをする発想は間違いです。
今度は相手が責め過ぎたと呵責を背負って生きて行くこ
とになります。
 自分の子供が「いじめ」で自殺した場合に「詫びは良
いから生かして返してくれ」と言いたくなるのはだれで
も同じです。
 お互いに分かっていて出来ない無理を言っているので
す。殺したいほど相手を憎むこと、憎まれることは起き
るものです。
 どうすれば耐えることが出来るか・・・・場合によっ
て異なります。何もお役に立たない場合もあると思いま
す。
 ですが、10年前に観音院を知っていたらと良く言わ
れます。10年前には実はお役に立てない場合もあった
でしょう。
 私たち職員は今までずっとお役に立てていたとは思え
ません。僧侶も尼僧も法主さんのような良い先生につい
ても、一人前になるには10年は歳月が必要です。
 正直に実際のことを申し上げれば、ご迷惑を掛けなが
ら、誤っていたかもしれない助言をして今日があるので
す。
 ポール牧さんが、得度をして頭を剃って、それで人生
のしがらみや執着から解脱されたようなことをテレビで
言っておられましたが、それが本当なら、得度までに相
当に苦労された過去をおもちです。
 私と単純に比較しては申し訳ないのですが、剃髪した
時はそのような気持ちがしたものです。
 ですが、布施を頂いて尼僧で生きて行くことは、そん
なに単純なことではありませんでした。
 洪水のような相談を受けて、10年経っても実際には
やっとお役に立てる程度でしょうか。それでも観音院に
は30年選手、20年選手、それに10年選手が3名、
大層なことは言えません。
 相当な、地獄のどん底を見たような苦しみから私たち
だけは何とか救われた。その恩返しくらいはしなくては
ならないと思います。

■憎むこと、恨むこと、他人に責任転嫁することは卒業
できました。ですから、憎まれたり、憎んだり、恨んだ
り、恨まれた場合、何とか責任転嫁しないで自分ででき
るだけ親切にして上げようと決心していますので、利用
出来るところは利用して下さい。
▼どうにも知恵が及ばぬ時は法主さんという切り札があ
ります。住職さんも温厚で人情味に溢れた僧侶です。法
主さんも住職さんも運営のことには殆ど口をだされず、
ひたすら皆さんの話を聞いておられ、何のために生きて
おられるか分からないという人もおられます。
 これは誤解です。世間の皆さまのお役に立ちたいと願
って生きておられるのです。
 どうぞ観音院を利用して、社会に役立てる寺院として
活用して下さい。10年前に知り合えたらと言わず、今
日から知り合いになれても良かったと思われるでしょう。

今回の話はテーマが重すぎて上手にまとめられません。
 書き込みが足りないことを承知の上で原稿にしました。
 舌足らずで、どうしても適切に表現出来ません。
でも
 法主さんの話を聞くだけでも気持ちが楽になります。
※保険は大切なものです。決して保険の悪い面を強調す
 る意図はありません。金銭に拘泥する気持ちはありま
 せんが、無いよりは有る方がましです。災厄の際に保
 険が無いと困ります。無理のない計画で担保しましょ
 う。
※人の死に出会うことは悲しいことです。自殺は表現出
 来ない悲しみを関係者に与えます。生きていれば必ず、
 生きていて良かったと思うことがあります。死にたい
 と思ったら電話して下さい。魔が去るよう手伝います。
※辛いことがある時に観音院はお役に立ちたいと願いま
 す。10年前に知り合えば良かったと過去を振り向か
 ずに、前を向いて歩いて行きましょう。お互いに助け
 あって生涯を全うしたいものです。助力もお願いしま
 す。

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如是我聞 其の六