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97年2月の運勢と処世概観(97/1/19掲載)

「明日もあると思ってやること

       明日はないと思ってもよい!」


                         鈴之僧正

私には内緒事やプライバシーはない。今死んでも身辺から不審な物は
何一つ出て来ない。今日起きたことは今日中に済ますことにしている。
さりとて不注意で死にたくもない。温度の急激な変化に身を晒したり、
過労になるまで働いたり、物事を思い詰めたりしない。
心配事があっても、明日考えるとすると気分転換が出来る。明日死んで
いたら、そこまでは責任が持てない。このように生きれば気分が大吉に
なってくる。

死ぬ死ぬと言っているのではない。大事にすれば後四十年くらい生き
るかもしれない。さりとて、二月号が出るころには、この世にいないか
もしれない。死んだら魂魄をこの世に止めて見守って上げる。私の知人
が全部あの世へ行ったら道案内もしなくてはならない。先に死んで迷っ
ている人がいたら、私が行くまで待っていてほしい。全部片づいたら、
また、この世に生まれ変わって、人に喜ばれるようなことでもしたい。

焦ってはいけない。人生を半分か、もしかしたら殆ど全部使い切った
者として助言するならば、待てる人間になること、辛抱出来る人間にな
ること、時には冬眠も出来る人間になることが大切。あせらずにボチボ
チやっていれば良いこともある。あまり、やいやい言うと愛想をつかさ
れたり、縁がぶち切れることがある。

我を張るのは「運」に見放されて雪隠詰め(せっちんづめ)でにっち
さっちも行かなくなる。大凶運を自分で招いていることに、気付くなら
救いもある。向吉運。

思い通りにならないのが世の常と悟った上で、思うようにしてみせる
と考えられるなら「幸運」が向こうからやってくる。止める、辞める、
出来ない、二度と触らない、別れる、よそに行くなどは幸不幸を左右す
る大変な言葉だから注意して使うこと。悪いことに使うのは大切なこと
だが、注意された時に使うと人生が曲がることがある。吉凶交錯。

自分が傷ついたり、腹が立つ時は相手も傷つき腹を立てていることが
多い。自分が悲しい時には相手も悲しんでいるのが普通。それを自分だ
けの立場で考えると悲運が待ち構えている。相手の心の内も察して言葉
を慎めば「幸運」に向かう。

人間関係は相互信頼、相互扶助から成立する。感情的になると戦争に
なることもある。面子(めんつ)なんて何の値打ちもないし、面子のた
めに死ぬこともある。

今年は少し気楽に、控えめに、辛い時には御佛(みほとけ)に頼る。

正直者で、瞬間湯沸器で、感情が表情や行動に出て、その上頑固だっ
たら、別の見方をすれば馬鹿そのもの。気に入らぬことがあると周囲に
当たり散らすと「悪餓鬼」と思われても仕方がない。少々不正直でも感
情が抑えられ、柔軟性があれば、その方が付き合い易い、世間というも
のは非情なものだ。

今年は「かっとなる」ようなことが多いだろう。原因がないところに
結果はない。怒るよりは、妥協点を探ることが開運のきっかけになるの
だが。腹を立てぬよう、相手の言い分や立場も考えることが問題を解決
する。


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