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月刊「観自在」

 法主さんの日常 (97/06)

                          
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     法主さんの祈願や供養は命懸けです
       念押しや猜疑心は捨てて依頼して下さい
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      大丈夫ですかと聞かないで下さい
          これ以上の祈願や供養はありません

 法主(ほっす)さんも住職さんも優しい僧侶です。ですから、供養や祈
願を依頼されると「いいですよ」と簡単に引き受けられます。だから依頼
された方が大丈夫だろうかと疑いの心を持たれることもあります。
 これほど誠実に、依頼された人の立場になって供養や祈願をされる僧侶
は他におられないように思います。最高の誠意で拝まれるのですから、そ
れ以上のことを望まれても、探されても、どこにも見つからないと思いま
す。信頼してお願いされることが大切です。

 常識的な考え方で法主さんや住職さんの日常を観察していると理解でき
ないことがあります。
 何の欲望をもって生きておられるのだろうか、と不思議に思うことがあ
ります。生活は見かけよりは質素です。あれが欲しい、これが食べたいと
望まれたことは、私の記憶には一度もありません。

 法主さんは私たちがうっかりすると食事を抜かされることは間違いあり
ません。生きてもらうために、食事をしてもらわなくてはなりません。
 ですが、手紙を書いておられる時や、礼拝(らいはい)をしておられる
時、瞑想(めいそう)をしておられる時は絶対に声を掛けてはならないと
言われていますので、食事を出すタイミングがとても難しく思います。
 部屋の入口から、そっと見て、一段落しておられる時に、食事をお持ち
するようにしています。
 食事をしないで寝ておられる時には、とても疲れておられるので目覚め
られるまで待ちます。
 朝食と昼食は毎日「お結び」とポタージュスープ、それに食べやすいよ
うに一口に入るよう包丁を入れたオムレツです。四月は筍のお供えと油揚
げのお供えがたくさんありましたので、毎日のように煮つけを出しました
が、一度も何も言われませんでした。
 冷たくなっていても不満を言われたことは一度もありません。

 夕食は会議を兼ねて大体六時半くらいからですが、これは規則的なよう
です。食事は早く、用事が無ければ直ぐに席を立たれます。あまり手の込
んだ料理は好まれないようです。
 会議と言うよりは法主さんの注意事項を聞くことが主になります。

 信徒さまの依頼事項は紙に書いて執務机の上に置きます。
 口頭で伝えるのは緊急の場合です。そのような時には声を掛けても電話
しても大丈夫です。
 法主さんに怖いことを予想される返事があると思われたら聞かない方が
賢明です。ご希望通りの助言とは限りません。
 ただし、受け取る方の精神状態を把握して話されるので、気の弱い人に
は曖昧(あいまい)な返事をされます。
 また、一人で信徒さんと会われることはありません。必ず担当する職員
か常勤監事が同席します。
 外出も家族か職員が同伴し、一人で外出されることはありません。
 昔は托鉢(たくはつ)に出られることもありましたが、最近は単独行動
を絶対にされないようになりました。
 プライバシーは皆無の人です、よく「窮屈ではなかろうか」と皆さんが
思いやりの意見を述べられますが、法主さんは「大切なことだ」と譲られ
ません。

 法主さんは「水と空気があれば良い。少しばかりの食べ物と、雨風が凌
(しの)げれば良い」とかで、もう快楽とか娯楽とか美味とか、体裁とか
名誉などは必要とされないのだそうです。
 皆さまの有縁(うえん)無縁のご精霊(しょうりょう)の供養をするこ
と、皆さまのお祈りが成就(じょうじゅ)するよう御佛(みほとけ)さま
に伝えることが生きている理由だそうです。
 不必要なものは一切望まない。生きて行ける最低限の物があれば良い。
御佛さまが喜んで下さり、皆さまが喜んで下さり、そのようなことが私の
喜びで、他に何も求めていないと言われます。
 法主さんは、一日一日と純粋に理想を求めて、さらに純粋に世の中のた
めになりたい、世の人々に尽くしたいと努力されているように感じます。
 そして、すでに御佛さまと同じような慈悲を持たれているように思える
ことがあります。
 道を求める人、僧侶とは如何にあるべきか、考えることは、私たち寺に
いる者としては当然のことです。ですが、思うのは易しく、実行は困難で
す。
 その困難と思えることを日常生活にされているように思えます。
 法主さんは「世間の常識で許容されるような、僧侶としても当然に許さ
れるようないろいろなことを厳しく辞退されて」います。
 法主さんと普通の人との接点は、清潔を望まれることです。贅沢という
意味ではなくて、身辺を清潔にしておきたいと、常に願っておられること
は想像できます。
 衛生と言うことでは、保健所の要望より高い次元で望まれています。私
と住職さんの奥さんと一緒に食品衛生管理者の講習を受けに行きました。
 ですが、常日頃、法主さんから指導を受けている内容は、保健所の講習
よりは水準の高いものでした。

 観音院の調理をする上で、食中毒を出さないように、どれほど気を使っ
ているか、五月から十月くらいまでは、大変な心配です。
 もうすぐ夏の「厄除(やくよ)けソーメン」を接待する季節です。
 気が付かれた方もあると思いますが、昨年から葱(ねぎ)を使っていま
せん。生の葱を滅菌する方法が思いつかないのです。
 椎茸や油揚げは調理後に瞬間冷凍したものを、解凍して百度で五分以上
煮て添えます。ソーメンは参詣された方の人数を数えて茹でます。しかし
O−157が怖いのです。どうすれば良いか、それは、調理に関わる者が
滅菌に細心の注意を払うか、接待を止めてしまうかのどちらかになります。

 日常生活で最善を尽くして、その上に、御佛さまにお仕えする。皆さま
は法主さんにとって御佛さまと同じだそうです。
 大般若転読百座記念法要を執行されるにあたり日常の法主さんをご紹介
いたしました。

◆礼拝や供養や祈願で物事が上手く行くものなら、医者も専門家も不必要
とは考えておられません。お医者さんも、公認会計士の先生も大切にして
おられます。
 法主さんは人間として最大の努力をして、専門家の助言を大切にされて、
その上で礼拝され、供養し、祈願されているのが現実の姿です。

◆人智を超えた霊的な力を法主さんは求めて日常を過ごしておられます。
それを得るためには、常識を超えた精進(しょうじん)が必要だと考えて
おられるようです。精進の一つが、世間的な欲望を捨てることだと考えて
実行されています。

◆世の中には人間の努力で左右できないことが多いそうです。努力を超え
たところにある、幸運を皆さまにもたらしたい、不幸を除きたいと求めて
おられます。
 思わぬ災難から皆さんを守りたいと御佛さまに祈っておられるのだそう
です。祈られるのは、皆さまの身の上を案じてのことだそうです。

◆法主さんは普通の常識人で、物事を論理的に突き詰めて考えられます。
人智を尽くした上で、その上に御佛さまのご守護を皆さまにもたらしたい
と願って供養し礼拝を続けて日々を油断なく過ごしておられるのです。

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