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月刊「観自在」

 法主さんの日常 (97/07)

                          
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     回忌は何時ごろから営まれるように
       兄弟や親族が集まって和解の機会に(1)
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      御佛(みほとけ)様に生かされていることを知る
          あるがままに無欲で清潔に過ごすこと

 先日、電話があって、なぜ三回忌(かいき)とか七回忌をするのか、と
尋ねられたそうです。「深い理由は知らない、他の偉いお坊さんに聞いて
欲しい」と何とも無責任な返事をされたそうですが、法主(ほっす)さま
ならではのご返事です。朝に夕に御佛様を礼拝(らいはい)され、一日も
欠かされたことはありません。
「毎日拝んでいると親の命日も気に掛からないようになってしまった。親
不孝になってしまったかな」と法主さまは言われていましたが、ほんとう
に先祖を敬う、御佛様を大切にされる基本のように思います。

 人の死後、年ごとにめぐって来る当月当日( 祥月−しょうつき) の忌日
を回忌(かいき)といいます。
 その満一年目を一周忌(しゅうき)または一回忌、満二年目を三回忌ま
たは三周忌と言います。以下七回忌( 満六年目) ・十三回忌・十七回忌・
二十三回忌・二十七回忌・三十三回忌・五十回忌・百回忌などがあり、
佛事供養を行い、年忌といいます。

 四十九日目を満中陰(まんちゅういん)といい、この日に永代供養をす
ると、後の法要は省略できるそうです。
 満中陰とは故人の霊魂が生と死の境「中有(ちゅうう)」をあけて浄土
に往生(おうじょう)するそうです。

 回忌というのは中国の十王思想の影響で発生したものらしく、佛教大辞
典にも出てこない言葉です。
 十王経に説く、冥府で死者を裁くという王、秦広王・初江王・宋帝王・
伍官王・閻魔王・変成王・太山府君・平等王・都市王・五道転輪王です。
中有の死者が冥府(めいふ)に入り、初七日に秦広王の庁に至り、それか
ら順次に、二七日・三七日・四七日・五七日・六七日・七七日・百箇日・
一周年・三周年に各王の庁を過ぎて娑婆(しゃば)でした罪の裁断を受け、
これによって来世の生所が定まるというのです。
 欲界の六欲天と色界の四禅天の主とを指す場合もあるそうです。
初地から十地の菩薩がこの王となり、衆生に利益(りやく)を与えるそう
です。
 以上は観音院にある書籍からの説明です。知り合いのお坊さんに意味や
由来を聞くと、苛めになるから止めましょう。

 法主さまが正解なのです。いろいろ理屈を並べて綺麗に説明できるお坊
さまがいたら屁理屈をこねているだけといったら大目玉を頂きそうですね。
 法主さまのように正直さと、親を思う気持ち、ご先祖さまに感謝する気
持ちを日常的に持つことが一番大切なことのようです。

 中国では、儒家によって追善(ついぜん)の祭祀(さいし)が早くから
行われ、日本でも佛教渡来より祭祀がなされていましたが、平安朝時代に
は一周忌に僧侶を迎えて読経を依頼して供養していました。
 その様子が性霊集のなかのお大師さまの願文の中にも周忌の言葉でしば
しば見られます。
 十三回忌以後の年忌は鎌倉時代以後のことのようです。

 日常的に行われていることに、父親の十七回忌に、たまたま母親の十三
回忌が三年後にある、ついては一緒に法事をされることがあります。忙し
い現代では親族縁者が再三集まることは無理かもしれません。教義的には
問題はありません。安心してなさって下さい。
 またお年寄りが、この先どうか分からないので、元気な内に連れ添いの
七回忌の法事をしておきたいと願われるのは適切なことです。

 では、いったい年忌とは何かということになります。法主さまは「あま
り年月をおかずに、兄弟親子などが集まり、情を深める機会とすることが
第一、第二はご先祖さまに感謝すること」だそうです。
 ところが、結構、回忌法要について揉め事が起きるのです。「供養には
ならない困ったことだ」と法主さまは嘆いておられます。
 追善供養の目的は精霊(しょうりょう)の輪廻転生(りんねてんしょう)
の早いことを願い、この世に生まれているなら、良き出会いがあるように
御佛様に願うことだそうです。法事で兄弟喧嘩をすることなどは、この世
に生まれてかわって来ているご先祖さまに交通事故でも起きれと願うよう
なことになりかねないと心配されます。

 だから、親の命日も忘れるくらいなら、往生間違いなし。親の命日が気
に掛かって仕方がないのなら、早々に繰り上げてでもご法事をなされると
よいそうです。
 法事で子供が喧嘩をしたり、揉め事があるようなら、一段落するまで先
に延ばしてもよい。確実に揉めそうなら、いっそのこと法事を取り止める
か、法事をしたい者だけが集まってすればよいと極端な妥協もされていま
す。

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    回忌を義務感でするのは?
        寺に催促されてするのも?
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 観音院の過去帳も電算機のデータになっています。最近では多くのお寺
さんが同様です。
 回忌の年月日が自動的に打ち出され、二ヵ月くらい前にご案内が届けら
れる仕組みになっています。
 このソフトは本来は、観音院の僧侶がご命日に格別にご供養をして差し
上げたいとつくられたものですが、便利だから送って欲しいと望まれる方
が多く、かつ、日曜祝祭日に法事をされる方が多いので二ヵ月分のカレン
ダーを一緒に打ち出されるようにしてあります。

 ただ、世間の風は昔のように再三法事を営むのはいろいろと難しいこと
がある。しかし反面では、きちんと法事をすることが常識、あるいは公序
良俗のように思っておられる方もあります。
 どちらが正しいかというような問題でもありません。大安に結婚式をす
ることが望ましい、友引に葬儀をするのは望ましくないという「しきたり」
もあります。これと全く同じようなことです。

 関東大震災の百回忌法要も原爆投下犠牲者五十回忌法要も丁重に営みま
した。
 これらの法要を営むには、一つは死者の冥福(めいふく)を願うこと、
もう一つは二度と同じような災難に遭いたくないという気持ちがあります。
 難しく考えない。温かい心で、亡き人の立場を追憶して佛事を営みたい
と思います。

回忌の佛事(ぶつじ)は義理や体裁でするものではない。本当は
初七日か四十九日に永代供養をお願いすれば、それで全部済んだと
思ってもよいそうです。但し、永代供養を引き受けた僧侶は日々、
朝に夕に読経し、成佛(じょうぶつ)を願う義務がある。
だから観音院では毎日、年中無休で法要を営む義務があるのです。

祈願(きがん)も供養と同様だそうです。人間は生きているかぎ
り、祈りたいことが多く願いごとがあります。だから、その祈りや
願いにそって生きれるよう御佛様にお願いするのだそうです。
往生まで目的を持ち続けることが大切。

死ぬ間際まで持ち続ける目標は、世の中の平穏を願い、世の人々
の幸せを願うことだそうです。そのような人は間違いなく御佛様に
守護されるそうです。
 揉め事の多くは面子と相続にからむもので、亡き人の菩提(ぼだ
い)を弔(とむら)うのに、昔の言い分は早く忘れて、感謝の方に
気持ちを切り換えたいものですね。

この世に理想的な親は一人も存在しません。思うようになる子供
もいません。法事には怨みや不服はもち出さない。揉め事があるな
ら、法事を和解の機会にすれば、亡き人も安心して成佛ができます。
穏やかな心で。

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