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月刊「観自在」

 法主さんの日常 (97/08)

                          
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  回忌は何時ごろから営まれるように
    兄弟や親族が集まって和解の機会に その(2)
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     法事は度々、できたら毎日すること
        ご先祖さまは日々供養することが大切

 先日、法主さんに電話があって、なぜ三回忌とか七回忌をするのか、と
尋ねられたそうです。「深い理由は知らない、他の偉いお坊さんに聞いて
欲しい」と何とも無責任な返事をされました。先般、天台宗の次代を担う
御僧侶とのお話の会でも、この話を持ち出されましたのですが、そこにも
偉いお坊さまは居られなかったそうです。
 法主さんの結論は日々ご供養をすれば最高、でも、仕事をしておられる
方にとっては無理なことだから、代わって毎日、観音院でご供養するのだ
そうです。

■葬儀をする際の僧侶の心掛けとして、瞬時に輪廻転生(りんねてんしょ
う)させるくらいの力量が必要、そのために修行されているのだそうです。
 何時までも法事をしなければ、ご先祖さまが迷い続けたり、地獄に落ち
たりするような、不細工な葬儀の導師(どうし)をしてはならない。
 単純明快なご指導です。この世を去った精霊(しょうりょう)を、何時
までも冥府(めいふ=あの世)に住ませるなんて<僧侶の慈悲ではない。
御佛(みほとけ)様の慈悲も無いことになる。とんでもないことは説いて
はならない。
 そのように法主さんは説かれます。物凄い根性のお坊さまです。 判り
やすく説明すると、生涯が終わって、一日か二日か、一ヵ月くらいなら、
生涯を振り返って見るのも満更ではないだろう。
 しかし、あの世で死者を裁くという閻魔(えんま)さんを初め、いろい
ろな恐ろしい王さまの前で尋問されて、それから七七日・百箇日・一周年
・三周年に、各王の庁を過ぎて、娑婆(しゃば)でした罪の裁断を受けて
来世の生所が定まるというのは残酷過ぎる。
 そのような来世が待っていると説くようなお坊さまなんか、っておれな
いそうです。


   それでは何のために法事を?
       生きている者のためにする法事

■誰かが亡くなられて、耄碌でもして家族にでも散々迷惑を掛けていても、
死んでほっとしたという場合は少ないと思います。
 時には「死んでくれたら」といわれるほどに、親御さんを困らせられる
お子さまもおられるようですが、そのような極端な場合でも、本心から死
ねば良いとは思っておられないのが切ない親心です。
 ですから、誰かが亡くなられれば法事はされます。

 ところで、この法事は亡き精霊(しょうりょう)を、なるべく早く往生
と言いますか、輪廻転生と言いますか、そのように御佛様にお願いするこ
とも大切ですが、実は残された遺族の心を癒すために大切になります。
 幼い子供を失った親の悲しみを慰める、幼くして親を失った子供の将来
を考えて上げる、配偶者を失った人の先行きを心配して上げる。要は残さ
れた者の困惑を癒す機会として法事が考えられると有意義になります。

 とかろがです、最近は人が死ぬと保険金だとか慰謝料が入ることが多い、
多少の違いはあっても財産が残される。そこで配分をについて争いが起き
たりしまして、坊さんをやっておれない、弁護士さんを法事の前に呼んで、
争いを済ませてから、それから読経に、説教という段取りにして欲しいと
いうようなことがあるそうです。

 世の中はいろいろですから、借金や負債が残って、相続放棄と言う相談
もあって、お坊さんの出番よりは、弁護士さんの出番の方が多くなるかも
しれません。


    追善のために法事をしましょう
        この世で良い環境と人間関係を

■生まれてくるには良い家族の一員であると幸せですね。生きて行く上で、
良い出会いがあると幸せですね。生まれて来ることを輪廻転生といいます。
 それを「幸せ」であるように願うのが法事、佛事になるそうです。
 観自在の先月号でも、法事で兄弟喧嘩をすることなどは、この世に生ま
れてかわって来ているご先祖さまに、交通事故でも起これと願うようなこ
とになりかねないと書いておきましたが、兄弟姉妹はくれぐれも仲良くし
て下さることがご先祖さまのご供養追善(ついぜん)になります。

■お坊さんの悪口を言うのも、ご先祖さまを、生き地獄に落とす近道にな
ります。確かに、悪口を言われても止む得ないお坊さんも実在します。
 お坊さんの善し悪しを見分ける方法は簡単です。礼拝を一生懸命にして
おられるか、いないかで先ず判断できます。
 酔っぱらって読経するお坊さんは論外です。僧侶になる時に不飲酒(ふ
おんじゅ)を誓っているのですから。
 お説教を聞いてみましょう。心が和むような、元気が出てくるような、
あたたかい心をもつような気持ちにさせてくれる、そのようなお坊さんと
付き合いなさい。

 お坊さんを苛めてはいけません。
お坊さんを「いじめる」のは簡単です。酒をすすめる、お金を貸してくれ
と頼む、お経の意味や、経典の中の熟語を尋ねる。
 これは、きっと、お坊さんも困られることでしょう。お酒は飲んではい
けないことになっていますね。お金で人を救済するのはお坊さんの厳禁事
項です。教義の全般に耳を傾けるのはお坊さんも喜びますが、お説教は前
もって準備しておくものです。準備していない方向に話題を向けて、お坊
さんを議論の相手にしようと思ったり、テストするのはいけません。

 法主さんに「お釈迦さまは、どのような人であったか」と尋ねることは
良いことです。多分、法主さんの理解しておられる範囲内で答えられます。
 前の日に「お釈迦さまの本」を読んでいて、それを基にお坊さんに質問
すると間違いなく逃げられます。これは悪戯の内に入ります。佛縁も切れ
てしまうことになります。
 世の中には我儘な人もいて、僧侶の事情を考えず、自分の勝手で「夜を
徹してでも話し合いたい、納得できるまで時間をくれ」と要求される方も
あります。
 法主さんは夜は早く寝られる方ですから、あっさり断られます。
 もうすぐお盆ですね。今年のお盆はどうされますか。

お坊さんを議論の対象としてはいけません。僧侶は自分の理解し
ている範囲内で話せば、義務を果たしたことになります。知ったか
振りはなりません。
 お坊さんに言い勝って、恥をかかして何が得られるでしょうか。
一対一で話を望むのは無法者のすることです。お坊さんは議論から
免除されています。

お盆にはお寺へ参詣してご先祖の供養をしてもらい、説教を聞き
ましょう。お坊さんを自宅に呼んで読経してもらうのは昔の大名で
もしなかったことです。病気も往診してもらうよりは設備のある医
院に行くことが大切。

聞くは一時の恥と言うこともありますが、何でもかんでも電話し
て聞くことはルール違反です。自分で辞書を引けば簡単に分かるよ
うなことを電話で聞いて済ますのは悪い傾向です。ただし、法律な
どのように難しい専門分野のことは弁護士さんに聞くように、聞き
上手になることが大切です。

ご先祖さまの供養は日々に礼拝するのが望ましいことです。毎日、
寺参りすることはできませんから、家に佛壇があるわけです。日々
礼拝(らいはい)するためにお経を習うことはとても良いことです。
お坊さんに教えて貰いなさい。

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