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月刊「観自在」

 観音院の法主さんの日常 (97/09)

                          

彼岸(ひがん)とか此岸(しがん)とか、区別しないで考える
  引き寄せても良い、橋を架けてでも、往来(おうらい)する

         
  昨今の不祥事と異常気象でプッツンしそう
      今なら間に合うかもしれないから努力をする

 彼岸会(ひがんえ)は春分・秋分の日を中日として、その前後の七日間
行う佛事(ぶつじ)です。平安初期から朝廷で行われ、江戸時代に庶民の
間に広まり年中行事化しました。
 彼岸の本来の意味は、河の向う岸のことですが、生死(しょうじ)の海
を渡って到達する終局・理想・悟りの世界のことです。そのように難しく
考えなくても、安心して平和な日々が送れるような生活ができれば申し分
ないのですが、これが大変な課題で、ご先祖さまにも、子孫にも、自分が
死んでからも、と願うから大事になるのです。


   日常生活から改めることが大切
         躾けの悪い子は世間に迷惑を

■私たちは食事の前後に合掌しますが、お寺でさえ、この合掌が形骸化し
てきました。ただで食事をさせてもらっているから合掌して食べるのでは
ありません。
 法主さんは「米という字はお百姓さんが八十八回も手を掛けて精根尽く
して作られたものであり、天候の恵みがあってご飯が食べられる。そして
食事のよって来るところは、皆さまが御佛(みほとけ)様に供えられたも
のである」とお母さんから教えられ「一粒のお米も粗末にしないように」
育てられたそうです。
 お醤油も皿に残ったものはお茶で洗い取って飲まれるという風に育てら
れたのだそうです。

 ですから、食べ物を粗末にすることに罪悪感をもっておられます。好き
嫌いは言われません。三度の食事をいただけることに、御佛様や皆さんに
対して、生産から流通に関わる大勢の人のご苦労を偲んで感謝しておられ
ます。
 食べ物に好き嫌いの多い人は、人間に対しても好き嫌いが多いそうです。
結果として世間から疎まれる原因を食習慣から身に付けてしまう。怖いこ
とだと言われます。

■タラコの馬鹿盛り■
 ご飯を食べる時に、ご飯の上にタラコを盛り上げるほどとって、これは
大変ですね、辛いですから。

■汁の三碗馬鹿■
 このような言い伝えもこわいですね。味噌汁やお澄しなどを、二杯まで
お代わりするのは、まあまあとして、三杯もお代わりするのは不作法で、
貪婪(どんらん)で、見てくれが良くありません。

■数の子の山盛り馬鹿■
 ずっと以前のことですが、正月料理の「数の子」を一人で鉢一杯を全部
たいらげた人があります。
 消化が悪いものを、茶碗に五杯くらいも食べられたのですから、これは
たまりません。胃のなかで水分を吸って膨れあがり、のたうちまわられま
した。数の子が貴重品であったころの話です。



   言いにくい食事の作法と躾け
        惜しむように思われかねない

■私は法主さんから「皆さんに出す接待は惜しむな。食事も茶菓も精一杯
にお出しするよう」言いつけられています。しかし、寺の中では別の考え
方があります。
 粗食が原則で、食い散らかしや残し物はしてはならないのが常識です。
食卓の上に漬物や佃煮、その他、らっきょう漬けなどを置くことは厳禁で
す。食事が済んだ後は、食卓の上には何も置いてありません。福神漬けも
注意して扱います。食中毒が怖いのです。

 漬物に醤油をざぶざふに掛けたり、コロッケにマヨネーズを盛り上げる
など、考えただけでも寒けがしそうです。
 これは寺に来て付いた習慣や考え方です。口音を立てて汁物を啜るなん
て法外なことです。口を開けて食べ物を噛むのもご法度です。
 「犬食い」と言えば、文字通り、犬が手で食器を持たないで食べるよう
な食べ方ですが、超不作法。


   周囲の人を不愉快にしない
       物を粗末にしてはいけない

■これは、日常の躾けの問題です。皆さんのお子さんが、社会に出てから、
多くの人に好かれ、誰からも嫌われないようにすることは、この世を楽し
く生きるコツです。
 でも、このような食事の作法にしても、「彼岸」が段々遠くなっていく
ようです。

■物を大切にすることは「食事作法」から始める必要があります。
 たまたま食事のことに付いて、「此の岸」のことを述べましたが、全て
に当てはまることです。
 物を扱う時に音を立てない、楽器ですら、音を出すべき時以外はそっと
大切に扱うべきです。
 食卓と同じように、仕事の机も勉強机も、いろいろな物を積み上げては
いけません。
 身の回りに不要な物を置かない、部屋を散らかさない。ところが、学校
の先生に聞いたところによりますと、ぐうたら教師は教員室のご自分の机
の上が山盛りだそうです。そのような先生は家でも足の踏み場がないほど
に物が散らかっているそうです。

 子供さんも同じだそうです。家庭訪問をして、掃除が綺麗にされていな
い、子供さんの机に本や雑誌が積み上げてある。玩具が有り過ぎる、整理
が付かない、このような躾けをされていると、よほどの奇跡でも無い限り、
学業もいい加減になるそうです。

 ところで、法主さんは相当に寛容というか妥協かも知れませんが、少々
のことは意に介されません。
 多少、散らかっているほうが、気が休まることも知っておられますが、
程度によると言われます。
 とは言え、トイレの掃除や、台所の掃除は相当に几帳面で、トイレを綺
麗にしていないと、その寺は地獄の入口と言われるのですから、とても気
をつかいます。

 法主さんは「覚りも涅槃も結構だが、日常の生活のあり方、身近なとこ
ろから、彼の岸に橋が架けられる」と言われます。

 どのような環境でも適応されますが、適応するには基本的なことが躾け
られていないと、朱に染まれば赤くなるそうです。
 彼岸を迎えるにあたり、基本的なこと、身近なことから点検して、改善
すべきことに気が付けば、今なら間に合うと話しておられました。いかが
でしょう。

彼岸に臨む第一の心掛けは、身の回りを掃除することです。姿勢を正し
 くすることです。他人の話を一生懸命に聞くことです。人が集まって、
 我、関せずといった態度は地獄の一丁目です。他人から話しかけられて
「うるさい」などと言うものなら、アンポンタンの見本。他人の話に耳を
 傾けましょう。

親兄弟の言うことを「うるさい」と言うような子どもがいたり、他人が
 貴方を「うるさい」とか「しつっこい」と言ったとしたら、言うほうか
 言われる方の何方かに問題があります。早めに心療内科で診察してもら
 うこと。

他人の言うことを「うるさい」と言う人は、余程の偉人か、余程の馬鹿
 です。静かにするべき場所で、不用な会話をするのは非常識なことで、
 これは困った人だと言われても仕方がありません。
 彼岸に渡るのは言葉が船です。悪い言葉は彼岸を迎えるにあたり改める
 ように努めたいものです。言葉は言い方では凶器になります。

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