如 是 我 聞 

                   文責 能島慶華 (観自在96.12月号)


   正夢を見たり、胸騒ぎがするのは   
       将来起きることを予知できるのか   



 このようなことで、相談に来られる人はとても多いようです。
良い夢、願望が叶った夢、棚からぼた餅が落ちて来たような夢な
ら、覚めて欲しくないような嬉しい夢ですが、不幸な夢を見たり、
胸騒ぎがする時など、それが的中すると、人間は将来起きること
を予知する能力があるのではないかと思います。今回は法主(ほっ
す)さんに踏み込んだ質問をしてみました。法主さんには私たち
では信じられないような不思議を見せていただいていますので、
それについても聞いてみました。

正夢というものはあるのか
   合理的にも不思議にでも説明可


夢は知識の集大成から見る
         知識外の夢もある不思議

夢は全て本人の知識の内、潜在意識も含めて、経験の集大成が部分的に
巧みに合成されて云々と言う説明がもっとも合理的といえます。
 他人の見た夢をあれこれ分析する人は「暇な方」としか申し上げようが
ありません。
 法主さんの寝室には酷使されている、ワープロがあります。設置いらい
スイッチが入れっぱなしです。「夢をみられたり、ふと目がさめた時に、
思いつかれたことを即座に書き留められるためです」。
 夢とか、夜中に思いついたことは、前後の脈絡が支離滅裂でバラバラに
思える。昼間にちゃんと起きている時にまとめ直さないと「思いつき」と
して価値もないし、もし手紙なんか書いていたら、書き直した方が良いと
思っておられるそうです。
法主さんは高気圧が来る朝は要注意です。気に掛かる人が亡くなられる
夢を見られるからです。
 信徒さんには年寄りが沢山おられて、その情報が法主さんにインプット
されているのでしょう。朝起きられて、「  」さんが亡くなる夢を見て
・・・と言われた直後に枕経依頼の電話があります。
一寸「   」へ出掛けてくると言われた時は、職員のだれかがお連れ
するのですが、「   」さんが法主さんに相談したいようなことが起き
ています。
 このような時は、意識が覚醒した状態にありながら、一瞬呼ばれている
状態が瞼(まぶた)をよぎる、脳裏をよぎるのではなくて、情景や会話が
展開されるようです。
もっと極端な場合は「  」かが夢で法主さんと話をされる。同じ夢を
法主さんが見ておられることも少なくありません。住職さんも同じ経験を
再三もっておられると聞いています。

Aさんの事は、あれは何でしょう。夕食の約束をしておられて、時間確
認の電話があった時に法主さんが「今日は直ぐ家に帰りなさい」と言われ
て、お帰りになられたら、何事も無い。法主さんは何故家に帰れと言われ
たのだろうと考えておられたら、風呂でお父さんが倒れられて、一命は取
りとめられた。あの事件、事件と言えるかどうかは分かりませんが、喜ん
でおられました。
私(能島)は直近に不思議なことがあって、まだ不思議です。
 左の瞼と頬がピクピクしだして困っていて医者に行こうかと思って法主
さんに相談しただけでピタリと直って嘘みたい、信じれないことがありま
したからね。
 昔のことだけど、暴力団まがいの押し売りに上がり込まれて、恐怖で震
え上がっている時に、ひょこり法主さんが来られて助けてもらいました。
法主さんは職員の家を十年に一度も、理由も無く訪問される方ではないし、
あの時は助けられたと思いました。
 こんな話をしていたら際限がありません。でも、困った時に法主さんに
助けられた人よりは、法主さんに出会って幸運に恵まれた人の方が圧倒的
に多いです。

正夢はあるのでしょうか
        だれにでも正夢はあります


このようにあっさりと言われますと一瞬疑問も生じます。
いつも不安を感じていると、怖い夢を見る。希望をもって前向きに生き
ていれば、願望成就の夢を見る。願うように人生は展開する場合が多い。
思うようにならぬのは能力に相応しない願望をもっている場合で、自分も
一抹の不安をもっているから悪い夢を見る。
不安が多い人でも、御佛様に守られていると思っている人は不安が解消
された夢を見る。実際でも不安が解決されることが多い。そのような夢を
一々正夢と騒ぐのは観音院には関係無いそうです。
観音院の僧侶は祈願をする際に成就された「喜び」の状態を脳裏に描い
て護摩を焚(た)きます。祈願を依頼された方も、祈願が成就した喜びを
強く期待して法要に会って下さい。
12月早々から1997年平成9年度の厄除け(やくをよける)と招福
(ふくをまねく)祈願が始まりますが、厄年だから厄除けと単純に思われ
ないで、出来るだけ魔が差さないよう、できるだけ幸運に恵まれるよう、
しっかり願い期待して欲しいものです。
厄年と言われる年齢に相当する人は是非とも健康診断を受けて下さい。
異性関係、結婚、仕事の責任、育児などとストレスが爆発寸前になる人生
の節目です。

 生老病死と愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦などの四苦八苦を
どのように上手に乗り越えて行くかという課題には、プラス志向の知恵が
大切になります。
 苦痛は、善人にも悪人にも平等に降りかかります。プラス志向とマイナ
ス気味では災難は平等ではありません。
法主さんはプラス志向の名人です。お会いされた方が十年前に知り合え
たらと言われるのは、このプラス志向、簡単に言えば「ねあか」のことな
んですが、これが凄い強運というか幸運というか、他人を幸せにする、運
の悪い人の運命を転換して幸運なレールに乗せて上げる原動力になってい
ます。
換言すれば観音院は強運をもたらす寺です。同時に「知ると知らざると
犯している罪障」を消失せしめる「悪い因縁」をたちきって、悪しき霊を
鎮める「浄霊」の供養を合わせて執行できる良く拝む寺です。
 とくに「施餓鬼供養」は本堂でも執行しますが、「水施餓鬼」を執行す
る専用の布教船(パドマ=蓮華)を所有していて、時間が取れる限り執行
しています。
法主さんの「水施餓鬼」はもう芸術の域に達しています。

華信さんが胆嚢摘出手術を受けられる際も、普通なら見舞いには何度も
行かれる筈ですが、毎日薬師法を修法して「大丈夫だ、大事にはならない、
遅くとも十一月中に復帰できる」善根を積まさせてもらっていると言って
おられ、快癒を確信しておられます。動揺は全く感じられません。


他人様の苦痛を身代わりさせていただくことは
     善根を積むことで、華信さんの幸せに繋がること


あれだけ一生懸命に拝み、奉仕に徹し、御佛様の加護を受けておられる
筈の華信さんが入院手術されるようになるとは?
 華信さんは、この世に生まれて来た以上、老いることも、病気になるこ
と、いずれかは死なれることを避けられません。
 それらを淡々と受け止められています。手術の説明の際にも「全てお任
せします」と微笑んでおられました。「このお医者さんに出会えたのは縁
によるもの」と考えておられるようです。

 医療過誤の裁判を起こしている人を批判するつもりは毛頭ありませんが、
法主さんは「例え医療過誤があっても、決して医者を訴えたりしない」と
言っておられます。
 原則として、観音院は裁判をして争うことは好みません。裁判に関わる
ことは双方にとって精神的に大変な負担が掛かります。
 訴えられた時はできるだけ相手の主張を受け入れます。被害者となった
場合は「不運」と諦めて敢えて訴えるようなことはしません。
 ところが、今までに裁判に関わるようなことが起きない幸運に恵まれて
います。
 組織ですから、細部に至るまでは把握していませんが、争いは当事者の
一方が「争う気持ち」をもたなければ、精神的な負担はとても軽くなりま
す。
このような方針が強運に繋がっているようです。「相手の立場で考える」
と多くの人の信頼を得ることができ、良い引き立てや協力が自然と生まれ
てきます。

強運に恵まれるには慎重に暮らす心掛けが必要です。阪神大震災があっ
て非常時に対する対策が叫ばれましたが、喉元過ぎれば熱さを忘れがちな
ものです。
 観音院では、震災以前から災害対策を立て、非常用食品や薬品、飲料水
などの備蓄を心掛け、加えて貸出用の発電機や雨漏り用のビニールシート
などを備蓄し、定期的に点検維持をしています。
もちろん、これで火災などか起きないとは保証できません。観音院では
灯油を撒いて放火でもしない限り火事は起きません。しかし延焼すること
は無い設備がしてあります。かつ、保険なども火災地震保険はもちろん、
参詣者の方が寺の内側で怪我をされた場合などに備えて施設管理者賠償保
険や食中毒保険が掛けてあります。
ですが、台所管理の厨房規定は最高のレベルにありますし、火事や食中
毒、自動車運転などについても常にミーティングを開いて事故がないよう
心掛けています。


念には念を入れて備える
       拝むことも同じ考え方で


法主さんは早朝に内持佛で供養や祈願をされていると聞きましたが、何
を供養したり祈願をされているのですか?
答え皆さんが依頼された供養や祈願を私なりの誠意で続けています。
これは住職の手伝いです。

特別な供養や祈願と聞きましたが、毎日の三座供養とは異なる供養や祈
願をされているのですか?
答えいいえ、延長というか、同じことです。

悪霊の退散とか浄霊というような特別な修法をされることもあると聞き
ましたが?
答え何を修法しているか、具体的なことは答えられない。師匠から教
えられたことを誠実にやっているだけ。悪霊とか浄霊とか物騒な話をして
はならない。

聖天供(しょうてんく=歓喜天様の供養)をされていると聞きましたが?
答えあれは商売繁盛とか試験合格とか、当選祈願とか、夫婦円満とか、
どちらかと言えば「良いことがあるように」拝んでいる。
もう五年くらいしたら手伝ってもらう。そのような修法もある程度で、深
く立ち入らないで欲しい。

五年たち十年も寺の職員としていても、私たちの知らないことも、未だ
沢山あると思います。
 聞くところによりますと、歓喜天様の浴油供は、歓喜天様を祭っている
お寺さんなら十万円くらい御布施を包めば特別に修法して貰えるそうです。
法主さんは御布施をもらって修法されたことは一度もありません。
 非公開の修法で住職さんが手伝われることがあるくらいです。
 今一番気に掛けて拝んでおられることは何でしょうか?
答え世間の歪みが正されるよう、道徳が復興するよう、疫病が流行ら
ないよう、正義が行われるよう、人々が清められて善き行いをなされるよ
うに拝んでいます。
 注意して欲しいことは宗教は秘儀(公開されない儀式)を包括している
場合がありますが、あまり喧伝しないことです。私は精神を集中しやすい
時間を選んでいますが、当然夜明けが多くなります。
 公開されていないというより、極めて個人的な瞑想の延長のようなもの
です。祈りも供養も私にとりましては皆さんの問題として捉えていない、
私個人の問題として修法しています。
 ところが、瞑想し易い環境を整えていることが、何か変なことでもして
いるのではないかと誤解され易い危険性があります。
 一人で静かに拝む時間をもっていると思っていただくと良いのですが、
難しい問題です。

内持佛で早朝祈願供養される習慣は古くからあるのですか?
答えそれほど古くはない。住職を引退して、さてこれからどうするか
と考えて、自分の仕事を見つけたわけ。だから十二、三年くらいでしょう。
何となく始めて今日まで続いている。日常生活のうちで無理はしていませ
ん。一日も欠かさずというようなものでもありません。体調が良い時だけ、
出張している時などは無理ですね。
 体力と精神力と調和がとれている時、私が「気に懸かることがある時」
だけです。住職さんの祈願や供養をされるのを手伝う、念には念を入れて
祈願やご供養をさせてもらっています。

宗教は合理的に割り切れるものではなく、奇跡もあります。奇跡がある
 から宗教というものでもありません。
 夢については心理学で合理的に説明されるものですが、宗教が深く関わ
っていることも当然に有り得ます。

日常生活で、物事を悲観的に受け止めるのと、前向きに楽観的に受け止
 めるのでは、明らかに人生の展開が異なってきます。
 物事をプラス指向で考えると、人生が思いもそめぬ良い方向に転換する
 ことが多いようです。

僧侶は皆さんの苦痛や悩みや願望を、自分のこととして受け止め、特に
 苦痛については、代わりになって上げたいと願うくらいで、御佛様のご
 加護も期待できます。私たちはそのように願い、一生懸命に拝んむのが
 普通です。

念には念をいれて慎重に日常生活を過ごすことが大切です。拝むこと祈
 願すること、供養することも同じことだと考えています。もし困難があ
 ったら観音院で一生懸命に拝んでくれていると思って、元気を出して下
 さい。

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