如 是 我 聞                      文責 能島慶華 (観自在97.2月号)


   優しい性格と貧乏な性格は紙ひとえ
        幼児期の教育と同じ程度に成人教育も


 10名の子供を集めて、同じ量の粘土を渡して遊ばして、しばらくして
みると粘土が多くなっている子供と少なくなっている子供がいる。多分、
お団子をこしらえて他の子供に与えた子供が少なくなり、もらった子供が
多くなるのだろう。何かをこしらえる際に、隣の子供から借りて、返さな
い子供が多くなるのかもしれない。増えも減りもしない子供もいる。だか
らといって、粘土の量で人間の性格を計ることはできない。優しい性格と
貧乏する性格があるとすれば怖いことだ。

世の中には金の回る人と
       金が回らない性格の人がある


そのようなこともあると法主さんから聞きました。
商売をされる方が、会社に組織変えして、払込資本金から自分の投下し
た費用を引き上げてしまう人があります。簡単に説明すれば商売をするの
に500万円を掛けて始めた、会社にした時には、1000万の資本金がある、
会社になったとたんに500万円を引き出す。残高は500万円しかありません。
 ところが、1000万円のお金はそのままにして、500万円のお金が必要なら
銀行から1000万円借りて2000万円から引き出すと残高は、前者は500万円、
後者は借入金は1000万円あるが、残高は1500万円あることになります。

前者の場合は会社にすべきではなかったのです。銀行を会社を作るため
に利用しただけで、銀行は借りてもらえないのですから商売になっていま
せん。
 後者は銀行に利息を払いますから銀行にとってはお得意さまです。
両者を比較しますと、更に資金が必要になった時に、前者は残金の500万
円しか用意できません。 後者は、場合によっては更に1000万円の融資が
受けられる可能性があります。
前者の場合、出資金を親戚や身内で出しているのなら、カラスの勝手で
すが、友人知己から出してもらっていると、株主を偽ったことになりかね
ません。本来自分で出すべき元手金を株主に肩代わりさせたようなことに
なりかねません。二度と出資もしてもらえないでしょうし、保証も依頼出
来ないでしょう。
新規に商売を始めて、会社を設立した場合に、出資した立場の皆さんか
らよく聞く苦情相談です。
自己資金だけで商売が出来ることは理想ですが、大きな商売をするため
には、他人から出資してもらったり、銀行で借りることが出来なければ無
理でしょう。
おなじ理屈ですが、死に金を使う人と、お金がお金を連れて帰ってくる
ような使い方をする人があります。

優しいと言われる金の出し方と
        貧乏になる金の出し方の違い


世間には、とても気前の良い方があり、お金に不自由をされているよう
でもありません。その人の友人で真似をして借金取りに追っ掛け回されて
苦しんでおられる方もあって不思議なことです。この根本的な違いは見え
ない努力がなされているか、いないかの相違と言うことができましょう。
前者はお金が好循環している人であり、後者はお金だけではなく、する
ことなすこと全部悪循環していることが多いようです。
 つい先頃まで成人病と言われていましたが、最近は生活習慣病と言うの
だそうですが、お金が回らない人も生活習慣病を患っておられるのと同じ
ことです。
生活習慣病は栄養の取り過ぎや運動不足、不規則な生活、ハードな仕事、
精神的なストレスなどが原因ですが。

優しい人と言われるお金の好循環は、高収益やリスクの高い利益を期待
しない、勤勉に働く、金銭の無理の無い範囲の動かし方、無理のない融通、
精神的にストレスが発生しない負荷の範囲と、まるで人間の健康状態と同
じような仕組みがあるようです。
貧乏になるお金の出し方は悪循環がつきものです。出したお金がスムー
スに帰って来ない、意味の無い追加の出費がある。さらには恨みや憎しみ
の追加もある。働こうにも働けない。金銭は無理に動く、軋(きし)みも
生じます。結果として負荷に耐えれない、そのようなことを貧乏と言いま
す。
それが、人間関係で良い性格とか悪い性格と、あれこれと世間から言わ
れるとしたら、とてつもなく「運の悪い人」ということになるかもしれま
せん。

金持ちになる人間の条件は
        好感度とケチのほどほど


生まれつきの金持ちの存在は羨望(せんぼう)と嫉妬(しっと)の対象
として、ここでは触れません。
 普通の人、大学などの学歴もあまり関係ないようです。どのような人が
成功しているか、成功した人達には多くの共通項があります。
以下それを少しばかり・・シ

1、独立思考があることは絶対条件です。宮仕えはせいぜい取締役まで、
  やる気がない者には金が集まらないようです。
2、年齢は三十歳前後、四十代でも可能性はありますが、大きく成功する
  のは難しいようです。
3、好感度は不可欠な条件です。他人に信頼されるには第一印象が大切に
  なります。
4、技術か販売能力は、除いて考えることは出来ません。
5、元金は必ずしも必要ではないようです。集まって来る企画と、それを
  証明する能力が必要です。
6、人物、道徳的な水準などは必ずしも上等でなくても良い。成功に従っ
  て水準が上がります。
7、健康もまあまあで宜しいようで、多少身体は弱くても良い。
8、不倫結構、ただし家庭を壊すようでは短小です。
9、思いやりとケチが同居している場合が多いようです。
10、人を使えない人は金儲けをするよりは貯金をコツコツすることが大切
  です。
11、人材で苦労する人は経営能力が最初からありません。世間には人材が
  ゴロゴロしています。もう一つは人材を育てる能力です。
12、独立の機会が訪れないのは最初から成功の資格が無い証明です。
13、しつっこさと過激さが必要になります。
14、敏感さと決断力、他人の話が参考に出来る。情報蒐集能力は不可欠と
  言えましょう。
15、一番大切なのが「運」に恵まれることです。同じように、大切なのが
  「運」を逃がさないこと。これも努力だけでは駄目で、「運」を逃が
  さない「運」が必要です。

知恵を伴わない慈悲(じひ)は、本当の慈悲とは言いません。屁理屈や
 説教の付いた慈悲は単なる浪費としか言えないでしょう。
一番性質の悪い「凶運」は、慈悲の性質が理解出来ない、理解出来ても
 報恩感謝の気持ちが芽生えない人は、絶対に「幸運」はつかめませんし、
 他人の命から二番目の金銭を「死に金」にしてしまう始末の悪い人で、
 かかる人は人間の屑(くず)と思って付き合いを適当にして自分の生活
 の範囲から除外することが、長い目で「運」となります。

「運」がダブルであることが成功の大切な条件です。
「運」を逃がす、追い出す「悲運」をもっている人もいて、これは気の
 毒な人です。

幸運が逃げる人
1、不信感の強い人は、折角「運」をつかんでも逃げられます。
2、疑い深い人は、「運」に愛想をつかされます。
3、乱暴な人、暴力的な人は、始めから「運」が逃げています。
4、家族を粗末にする人も「運」に逃げられます。
5、配偶者を粗末にする人は「運」を粗末にする人です。
6、「考えてみます、相談してみます」と言ったとたんに「運」は逃げま
  す。幸運は相談したり、考えてもらうほど「あやふや」なものではあ
  りません。
7、これを逃したら二度とないような「俗に言われる運」は「運」が逃げ
  出している証拠です。関わると「運」が逃げます。
8、のるかそるかと言う機会が来たら「運」は逸れます。「のるかそるか」
  の語源は”地獄極楽”で、そのようなことに関わると「運」は逃げる
  のが常識でしょう。
9、「運」は博打が嫌いです。宝くじに当たるのは、災難の一種と考えて
  おくと良いでしょう。
10、ダニが涌いたり、漬物や梅干しが腐る時も「運」が脱出中。
11、事故や病気も「運」が逃げそうな合図です。火事や喧嘩も同じことで
  す。泥棒に入られたり、財布をなくすことも危険な前兆。
12、公職に立候補するのは「運」が駆けって逃げ出しているのと同じこと
  で、この病気は一度罹(かか)ると回復が難しいようです。
13、約束を破ることは、不渡り手形を出したのと同じことです。
14、知ったかぶりは「凶運」を招くことになります。
15、嘘つきは泥棒の始まりではなくて貧乏の始まりです。
16、神仏を否定するのはカラスの勝手ですが、末吉です。
17、年寄りを粗末にしたり、目上の人に暴言を吐く時は、口から「運」が
  一緒に逃げて出ます。
18、一番気の毒なのは、最初に得た「運」が大きかった人です。思い上が
  って高慢になり、最初に足を引っ張られた時に、謙虚になれば救われ
  ますが、「運」の乗り方のコツを知っていませんから、社会的態度が
  未熟です。そこから生じる軋轢が、将来の「運命」を吉凶交錯させる
  波乱につながります。

こんなことを書きますと、自分が皮肉られているとか、自分のことが書
いてあると妄想が起きるようでしたら、気の毒ですが、貴方は挫折するか
没落します。
法主さんは、多くの喜怒哀楽を見ておられて、同じケースが再三起きて
いることを語って下さっているにすぎません。
 思い当たることがある人、は「運」が逃げる寸前ですから、妄想よりは
該当事項がないか点検されて改善されれば「大吉」になります。
ここらあたりは、性格の問題もありますので、受取方はカラスの勝手、
法主さんに責任はありませんし、私にも責任はありません。


怖いいじめられる子供たち
      成長してもいじめに会うことが


いじめられたことを学習して、どうすればいじめに会わずに過ごせる考
えることが出来る人は大きく成長することが出来ます。
 それが、いじめのグループに入ることや、より弱い者をいじめることで
ストレスを解消する方向に進むと救いがありません。
ここらあたりは、保護者や教職者の教育が大切になります。

最近「タマゴッチ」という面白い仮想的な生き物を飼う?育てる玩具が
あります。
 これは子供の玩具というよりは大人が遊んでもらいたい玩具です。
 コンピュータ・ゲームの一種ですが、過保護とか放任ができない仮想的
動物?ですが、躾けが必要に出来ている仕組みは皮肉です。
苛めに会いやすい子供の性格もあるようです。苛める子供の性格もある
ようです。どちらも我慢することが出来ないような共通する性格があるよ
うで、これは間違った分析かもしれませんから深刻には考えないで下さい。
 私たちも法主さんも住職さんも苛めの問題にはとても心を痛めています。
 いろいろと話を聞いておりますと、育て方に問題の遠因があるのではと
思うことがあります。
 もっと切実に感じることは親御さんの教育が必要ではないかと思うこと
があります。
 さらに悲しいことは、苛められる子供は、社会人になっても苛められる
ことが多いようで、子供の苛めを放置すると、成人に達してからも社会適
応性を欠くのではと想像することがあります。
 私たちは心理学者ではありませんから上手に説明出来ませんが、貧富と
も密接に関係があるように思えてなりません。
 苛めに会わない子供、苛めない子供は比較的に豊かで円満な家庭を営め
ているように思える例が少なくありません。
 換言すれば、子供から成人になるまでに苛めが多発している現代社会は
思ったより根が深く、影響も社会人になってからも現れ、大変に大きな問
題だと思います。
 ところで、苛めには格別の理由はありません。他人に比較して、何かが
優れているとか、劣っているとか、学年が違っているとか、裕福であると
か、何かの違いがあれば十分です。
 同質性を重んじる、和を中心とする日本人の考え方が「苛め」の理由と
して潜在しているとしたら、どう対処したら良いのか、対策を立てるのが
困難です。
 対症療法しかないとしたら、これは大変なことだと法主さんは嘆いてお
られます。親や学校だけではなく、国民的な課題と考えるのが正しいこと
かもしれません。

親のように子のよう
        み佛さまを身内にする


 「親のように思って頼りにしていただければ、子供のように思って下さ
い」と法主さんが言われたことがあります。観音院はどうすれば皆さんの
お役に立てる寺になれるか、いつも一生懸命に考えて運営しています。

 葬儀代の心配は、もう皆さんはもっておられない筈です。
 しかし、残念ですが、枕経に僧侶が出向き、通夜に僧侶が2名と司会が
1名、葬儀には僧侶が3名と司会が2名、四十九日まで含めて全部で5万
円を知っておられない方がたくさんおられます。
 このうちには、会場費用、通夜の人の宿泊費用、戒名料、食事代、茶菓
子、精進落としの料理なども全部含まれていますが、どうしてこのような
ことが出来るか説明しておきます。
 先ずは料理ですが、これは「お供え物」を料理します、料理は時には百
人を超えることもありますが、実は全部ボランティアの方々が手伝って下
さいます。足りない時は寺が支出しています。料理屋さんから料理を取っ
て五万円の御布施の内から支払うことは不可能なことです。
 僧侶は全て観音院の職員か在家のボランティアで得度し修行を済まされ
た方で、布施をもらう者は一人もいません。
 観音院の本堂も別殿も完璧な荘厳がなされていて、ここに二重に須弥壇
を設置することは御佛様に無礼なことで絶対に出来ない決まりですから、
喪主が葬儀社に支払う金額は30万円が目標です。
 葬儀には生花一対があれば十分です。茶菓子、夜の食事、その他色々と
葬儀社の積み上げ方式ですと、直ぐに100万円を超えます。
 ですから、葬儀でパニックになられている遺族に付き添って契約に立ち
会います。
 最近は宮付きの金キラキンの霊柩車は、観音院では使用しない決まりに
なっています。
 そのような理由で、寺のお供え(布施)5万円と、葬儀社に対する支払
いは18万円から最高でも30万円で、合計35万円を超えないことを目
標にしています。

手抜きは絶対にしません
       お香は最高級の沈香(じんこう)です


 費用が安ければ、中身が貧弱というような葬儀はしません。焼香の沈香
(じんこう)は純金と同じくらいの価格のものを使用しています。死者や
会葬者や僧侶を燻(いぶ)すために煙が出さえすれば良いとは考えていま
せん。
 通夜には会葬者全員にお灯明を上げてもらうよう準備していて、それだ
けでも葬儀のお布施の5万円を上回ることもあります。
では、なぜ、このようなことをするのかと思われるかもしれません。法
主さんは葬儀に際して「肉親を失った悲しみを同悲として引導をする」と
言っておられます。
 昨年々末には立て続けに葬儀がありましたが、喪主や親族の方々から大
変に感謝されました。
 では、祈願料や供養料、葬儀の布施を低廉にして、どうして寺の運営が
成り立つのでしょうか。
 法主さんは「お金が集まれば組織は腐敗することが多い、ぎりぎりの線
でやって行くことが大切」と言っておられます。
 ぎりぎりの線で寺を運営して大丈夫なのでしょうか。今のところは大丈
夫なようです。経理や運営議事録は公開していますので、不可能であれば、
皆さんが心配して下さい。上手にお寺を「経営」する意図は毛頭ありませ
んので、法主さんの願いは失敗かもしれないとも思いますし、高品質・廉
価販売?は大成功かもしれません。
 これは私ども寺の内部にいる人間の考えることではありません。皆さん
の課題です。
ともあれ、葬儀代に100万も200万円も掛ける考え方には終止符を
打っていただきたいものです。
悲しいことに、この観自在を読んでおられない方々が、葬儀代に不安を
もっておられます。
 法主さんも、住職も、私ども一同は皆さんの悲しみを私どもの悲しみと
して、皆さんの喜びを私どもの喜びとして、観音院をそのような寺にして
行きたいと心から願います。

親のように子のように思って
       頼りにして下さることが大切


自分にとって都合の良い時だけ親のように頼りにしてもらってもかまい
ません。子供のように頼りにされてもかまいません。
 皆さまのご要望にそって、一生懸命に拝むこと、皆さまに奉仕すること
が祈願や供養の原点です。
その上で、核家族化が進み、ギスギスしつつある世の中にありながら、
観音院を中心とする「昔の村社会」が実現しつつあります。
 寺の台所にたくさんの人達が一緒に集まって料理をしたり、自分が収穫
した野菜や魚介類やさまざまな物が持ち込まれ、食事のサービスをしたり、
ケーキを作ったりお喋りをされているようです。

 一年前に比較して、観音院の職員が寺にも自宅にもINS64の電話回線
を引いて、インターネットを利用するなんてことは夢のような話でしたが、
今では沢山の方々が参加されて大きな輪が成立して来ていて、新しいビジ
ネスの環境も出来つつあります。
 人が孤立化しやすい現代に濃密な人間関係が熟成されつつあります。そ
こから、お互いのことを心配し助け合う社会が出来つつあって、その仕組
みが生きてきたのが葬儀費用を低廉にする結果であったのかもしれません。
 観音院は確かに素晴らしくサービスが良くなりました。その裏側では、
このような事情があったわけです。

 私どもの一人の能力は小さなものですが、それを寄せ集めると良い効果
が出て来た理想的な環境と喜んでいます。
 私たちの住んでいる環境は娯楽が一杯で、情報が一杯で、飽食の時代な
のですが、孤独な人が多いようです。
 観音院には御佛様を中心として、職員が協力し、多くのボランティアの
参加もあって、孤独な人を救済する機能を持ちつつあります。
 お寺に遊びの要素が次々と作られているのは、趣味を同じくする人が核
になって、いたわりの精神で「集(つど)い」が持たれるようになりつつ
あるからです。
 やがて、職業別や趣味で、専門職で、流通や助け合いで、極めて珍しい
自然体の組織が機能するようになると期待出来ます。
 皆さんのお役に立てる、お力になれる寺として、費用があまり掛からな
いで、経理がガラス張りの寺になるでしょう。

この原稿には書き足りないことや補足が足りない部分、舌足らずな点が
多々あります。全てを原稿にすると十倍にもなります。また、特定の人を
想定して書いていません。こんな話もあるくらいに気楽に読んで下さい。
この話は世相の一断面を輪切りにしただけで、多くの例外の話も聞きま
した。機会を頂いて、ていねいに書きたいと思います。参考程度で、深く
考えないで下さい。内容を省略し過ぎています。皮相的な見方なのです。

人間の感じる「幸福な瞬間」は、時として束の間のことで、「不幸の裏
返しの幸福」もあります。このようなことを「矛盾だらけの人生」と言う
ことも出来ます。だからこそ人は神佛に頼るのかもしれないと思います。

登校拒否の子供に「学校に来なくても良い」と言うのは目先の解決方法
です。出社拒否の社員に「もう会社に来なくても良い」と言うことは解決
になりません。この問題については、個々のケースで考えるべきです。

葬儀社との契約には必ず観音院の職員を立ち合わせて下さい。あれもこ
れもと契約されて後悔されても責任は持てません。一切合切で30万まで、
寺に5万円と頭の中に叩き込んで下さい。パニックにならないこと。

高齢化社会、少子社会、医療費高額化、道徳の頽廃・・・・だからこそ助け
合いが大切だと思います。小さな輪を大きく広げて行きたい、そのように
願いながら寺を運営しています。ご批判と同時に提言を期待します。



前稿/如是我聞1月号次稿/如是我聞3月号


ご感想やご質問はこちらに


観音院ホームページ観自在の目次