如 是 我 聞 
          文責 能島慶華 −観自在97.8月号(2)

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    御霊験(御佛様の力の具体化)は沢山ある
       みんな喜んで有り難がっているんですよ!
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 法主さんは奇跡とか御霊験の話が好きでない。点鼻薬みたいに、注した 途端に詰まった鼻がすぅっと通しが良くなるように、劇的にしかも、誰で も、何時でも体験できるようなものでないと話してはならないと釘を差さ れている。 水掛け地蔵さんの「お水」はただの水道水と念入りに説明された。これ には、参詣される方々から「それは違う、私はこのような体験をした」と 抗議ではないけれど、お礼の体験談を語りたい方々が殺到し、法主さんは 「困りました」と了解されました。     子供の皮膚病が劇的に平癒           医者で患者から聞いて参詣 あるお母さんは、生後まもないお子さんが皮膚病で、お医者さんを、あ ちこちと尋ね歩かれ、なかなか良くならない。  ある病院の待合室で「私の子供は観音院で拝んでもらって、水掛け地蔵 さんのお水をもらって、それで拭いてやったら、嘘のように良くなった。 騙されたと思ってお参りして見なさい」と言われて観音院に参詣されたの だそうです。  受付で私に、そのような話をされますので、法主さんの言われる通りに 「あれは、ただの水道の水です。薬効はありません」と申し上げたのです が、ていねいに礼拝されて、水掛地蔵さまのお水をペットボトルに三本も 持ち帰られました。  お子さまを見た時には、見るも気の毒な皮膚の爛れようで、掻きむしり の痕も多く、薬が痛々しいほど塗ってありました。  「お医者さんに行かないと駄目ですよ」、「毎日のように通院していま す」との押し問答でした。  ところが、本当に劇的とも言われるほどに治ったのです。  今でも再三、お子さんと一緒に参詣され、お子さんは二階のパソコンで ゲームを楽しんでおられ、お母さんは本堂でお参りです。  こんなのって数えきれません。法主さんに、この話をすると「そのよう なこともあるかもしれないが、軽率に話してはいけない」とご機嫌が悪い ようでした。  先月号でこのようなことは無いと正式に否定されたものですから「私が 法主さんに話して上げたい」と次から次に、予約して、会ってお礼を言わ れるのですから、「仕方がない、一生懸命に御佛様にお願いすれば、その ようなこともある」と、話して良いと正式に許可が出ました。  宗教と安心、霊験、奇跡、罰(ばち)は付き物です。しかし法主さんは 罰は強く否定されます。  宗教を怖い物にしてはならないと強く強く考えておられます。  ですが、罰と思えることも何度か見聞きしました。  萬倍稲荷さんの前でお尻を叩いて「まんばい、まんばい」と悪ふざけし た青年が、一夜の内にお尻にニキビ状のものが一面にできて、お医者さん も「このように急性に発疹した例は始めて」と言われ、その青年が、萬倍 さまに謝罪したら、四、五日で嘘のように綺麗に治った例があります。  法主さんは三十代前半に観音院に帰って来られた時に、寺を大きくした い、信徒を増やしたいと思われて、掲示板を作られ、柱を建てる際に掲示 板が滑って、右足の親指を中間から切断されました。  その時に「僧侶ともあろう者が寺を大きくしたい、信徒さんを増やそう なんて・・・と」と痛烈に反省懺悔(さんげ)されたそうです。  ところが、落ちた指を拾って、水で洗って、包帯をして、出血で真っ黒 になった足の先、数カ月して、恐る恐る包帯を取ると、腐って落ちている かもしれないと覚悟しておられた指が着いている。皮も爪もはげ落ちてい たそうですが、骨が見えたのに、これは一体どうしたことかと考えられた そうです。  この事件があって、今のような性格の法主さんが生まれる直接の動機に なったのは確かです。  この反省と懺悔の結果「世のため人のために立てるよう御佛様のご守護 をいただきたい」と萬倍さまに誓願(せいがん)されたのは有名な話で、 観音院の原点でもあります。  愚鈍な欲望と、御佛様を利用しようとしたことに対する罪と罰、反省と 懺悔による御佛様の御霊験を身に沁みて知られたのだそうです。法主さん はご自分にもたらされた奇跡の意味を大切にして今日があるようです。  安心「あんじん」と読みます。生きて行く上で、死に行く上で不安がな くて、心が安らかなことは得ておられます。このことはお会いになられれ ば、何方でも納得されることです。  信仰により心を一所にとどめて不動であること。御佛様の救いを信じて 一心に衆生(しゅじょう)の往生を願う心。  佛教の教義の根本眼目を覚っておられるように見えます。 相談されると、駄目なことは駄目、良いことは良いと明確な返事が返っ てきます。相手の気根に応じて手加減と言いますか、話を噛み砕いて話し て下さいます。  しかし、多くの人は自分の都合の良いように解釈、または解釈を曲げて 受け取られることがあります。これは仕方のないことです。  素直に正確に受け止めるか、曲げて解釈するかは、いわゆる「縁」が有 るか無いかの分かれ目になりますから注意しましょう。 生きれる希望が有るか無いか、このような大胆な質問をして「無い」と 言われると酷薄ですね。このような質問は、自分の心に受け入れる準備が 出来ていない人はなさるべきではありません。  人は生まれて来た以上は、必ず死にます。どのように医学が進歩しても、 人を死ねないようにすることは倫理以前の問題として自然の法則にあって はならぬことです。  ですが、人は何時(いつ)まで生きれるか、何時死ぬるか関心がありま すね。ならば、何時死んでも良いと受け止められるよう心の整理がついて いると、不安も不服も怨(うら)みも無いと思います。  大往生ができる。そのように周囲の人が納得できるには、日常の生き方 が大切になります。  日常を如何に生きるかという話なら喜んで積極的に話して下さいます。 法主さんの生活は望ましいでしょうか。望ましいと思われるなら佛縁のあ る人です、法主さんの話を聞いて実行しましょう。      年相応の知恵を持ちながら若くあること         三十歳以上は年を取らない心掛けが大切 法主さんの格別な魅力は若々しくあることです。小中学生の友達がおら れる。20歳や30歳の人が迂闊(うかつ)に年齢のことを意識すると、 「おジン臭い」とか「おバン臭い」と言われかねません。  いわんや、50歳や60歳の方が、年相応に老けられると「可哀相」な 人だと同情されます。  さりとて、周囲の者は法主さんの65歳という年齢を意識して知らない うちに年寄りに仕立て上げます。  この夏、麻と綿の混紡で縮み織りのステテコと前あきの半袖の下着を揃 えましたところ、ご機嫌が悪い。  「ヤング向きの肌着と被(かぶ)りのシャツの色物が欲しい」とのこと で、全部若作りにされました。  ショッキング・ピンクのシャツなんて、とてもお似合いなのです。  年を重ねること、経験年数を数えること、年相応の知恵を身に付けるこ と、慎重になることなどは大切なことです。  ですが、もう定年前だから、50歳になったから、だからと言って、そ れらが何の言い訳になるのでしょうか。自分で、瓶の残量を気にしながら 飲むことは愚の骨頂です。人生は酒瓶ではありません。  気分は若くあるべき、好奇心をもつこと、勉強をすること、目標を掲げ て努力すること。世の中に役立とうとすること。ロマン(夢と冒険)をも つことが大切です。  浪漫主義とはフランス革命後から19世紀初めに欧州に展開された文学 上・芸術上の思潮のことです。古典主義や啓蒙主義・合理主義に反抗し、 感情や空想・主観・個性・形式の自由を重んじた人々で、文学ではバイロ ン、絵画ではドラクロア、音楽ではシューマン・ショパンなど、わが国で は明治中期の「文学界」・明星派・スバル派などに展開したのが浪漫主義 です。  さりとて、夢や空想の世界にあこがれ、現実を逃避し、甘い情緒や感傷 を好む傾向とは大分異なりますが、ご自分がロマンチックであることを否 定されません。 ここらあたりは私は詳しくないので深く理解できませんが、法主さんが ロマンを大切にしたいと言われるのは、もしかすると単純に「夢と冒険心」 を持ちなさいと言われているのかもしれません。 大略の話を伺って、文章にすることは難しいことです。以前のように、 親切に口述はして下さらないので、間違った解釈があったら指摘して下さ い。でも何となく理解していただけると思います。 直観的に簡潔に説明しますと、法主さんは何時までも青春でありたい。 希望と夢を持ち続けたい。茶目っ気な心も大切にしたい。自由にものを 考えたい。既成の概念に拘束されたくない。二十歳代の行動力も維持した い。勉学と努力は大切にしたい。睡眠時間はどんなに困難なことがあって も毎日十時間は確保したい。人権を尊重したい。  しかし、御佛様に守られてありたい。他人に害は加えない。お巡りさん や税務署員さんに取調べをされるようなことはしない。お行儀良くありた い。深酒・淫乱・賭博は嫌い。  名誉とか地位、物品・お金などに執着することは御免だ。欲しいものは 何一つ無い。  ロマンチックであることは大切だが自堕落は否定する。頽廃(たいはい) はゴミを生む。ゴミは幾ら集めてもゴミの山だから、それはしない……  と言っておられるように見受けますが、本当はこのような観察をするこ と自体が、ご無礼で失礼なことだと思います。  ところで、ところで、法主さんは最近、とても無責任と言うか、優しい のは凄く優しいのですが、もしかすると全く関心をもっておられないので はないかと思えるくらい何を書いても知らぬ顔です。  「自分のことは自分自身が一番よく知っている。マスコミに出ている私 と実際の私は全く異なる。あれは記者が想像して表現されたもので、私に ついての記者さんの著作物」だと言われます。  ここに書いている私の文章は能島の見方であり、能島の著作物で法主さ んとは関係無いことだと割り切られては立つ瀬もありません。  「そのようなこともあったかもしれない。能島さんの表現の自由です。 豚も煽(おだ)てれば木に登ると言うことを聞くが、私を木に登らせるつ もりか」と聞かれると、開いた口が塞がりません。  でも、誉めて、誉めて、誉め上げて、その上に持ち上げて、何とかして 尊敬したいと思う私の気持ちも理解して下さい。 法主さんの機嫌を取ることは難しいことです。どのようにマスコミで取 り上げられても、ご本人は全く関心がありません。  人は誰であろうと、親切にすべきと思っておられるようで、何方であろ うと全て同じ対応です。  御佛様を礼拝される法主さんの様子と、皆さんに応対する様子と、マス コミなどに対する応対も完全に同じです。最近、来客が一段と増えて、そ れだけ法主さんのファンも増えました。 取材に来られたある記者は「この寺のように親切に、行き届いた配慮を してくれた取材先は経験したことが無い。あちこちの宗教団体を取材した けれど、真面目に拝み続けられるのが凄い。トイレの綺麗さは最高。衛生 観念は抜群。勉強できる環境がある。法主さんと職員の一体感が素晴らし い。無理や内緒事が何処にも無い。羨ましい職場」と激賞されました。  「本当は記者に取材に来させるのですが、編集部の者として、法主さん と話しているうちに、どうしても直接取材に来たくなった。 もうお盆の 供養も、子供の合格祈願も全部ここにお願いすることにします」と、取材 に来られて、帰る時には立派な信徒になられた方もあります。  マスコミの仕事をしていると、何処かに穴が空いていないか、宣伝では ないか、いろいろな角度から疑って見られるのだそうです。 少しは面白 く、違った角度から取材したいと思って来たのだけど、非の打ち所が無い。  茫洋としていて、それでいて、小さなことまできちんとしている。  このような出会いはマスコミにいて名利(みょうり)に尽きる・・・ これからは一信徒として出入りしたい、また来させて下さい。  このように言われますと、観音院に「縁」があって、この寺に居させて もらって本当に良かった、幸せなんだと、御佛(みほとけ)様に感謝せず にはおれません。 子安観音様は「子供を思う親心を叶えて下さる」御佛様です。 人間関係の円満と良き人との出会いを守護される霊験があります。 御佛様は皆さんの親と同じです。何歳になっても我が子のように 守護して下されます 御佛様を信ずることは、御佛様と何か約束することです。何か をお願いすることです。お願いや約束が実現された時に、御佛様 のご守護が実感できます。御佛様の誓願に沿って生きて行くこと が幸せな生き方です。 法主さんは若い、中々付いて行けない。生き方や現在の考え方 を変えたい。目から鱗(うろこ)が落ちたような気持ちがします。 観音院の皆さんや職員さんは幸せです・・・そのように報道関係 者から言われました。 中にいると、観音院のことは当然のように思えて来るものです。 外部の方、それも、あちこちを取材されている報道関係の人から、 思いっきり誉められるのは嬉しいことです。頑張りますので宜し くお願いします。

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