観音院

いたわり 慈しみ 思いやり 相手の立場で考える 十善戒護持のお寺
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僧侶養成講座について

■僧侶とは■

 僧侶は聖職です。聖職とは対価を求めず「いたわり、慈しみ、思い遣り、相手の立場で考える」日常に徹し、覚りを求め、瞑想し、良く考えて過ごす人達の集まり【僧の集団の一員】となることです。

 観音院に問い合わせをされた事は幸運でした。得度し、受戒し、出仕を続けられれば百%僧侶になれます。ここで僧侶になるというのは観音院の僧籍名簿に登録されることです。但し宗教界全部に通用する僧侶にはなれません。沢山の宗旨があり、教義は微妙に異なります。どこまでも真言宗合法格物致知山永徳寺観音院の僧侶です。真言宗だけでも沢山の本山があります。僧侶として社会活動は可能ですが、あくまでも観音院の僧侶として活動することが可能になるという事です。

 僧侶の育成には、「信徒」としての経歴が非常に大切なことが判明しましたので、信徒歴一年以上と定めました。面識の無い人の飛び込み出家は受けていません。

■生前得度と戒名、御葬儀などの予約も承ります■

 どなたでも年齢資格を問わず受戒して「生前戒名」をもらうことが可能です。院号居士の立派なものです。日時や費用についてはメールでは無く来寺されて相談してください。

■観音院は逃避の場所ではありません■

一.社会人として世渡りが出来ない人は僧侶としても無理です。
二.お寺は福祉施設ではありません。僧侶は世間を指導する知識が必要です。あるいは職業訓練をする指導的能力が必用です。
三.寺に雑用はありません。寺男は必要ありません。
四.失業中の人は原則として僧侶になれません。
五.仕事を破綻させた人は僧侶になれません。
六.仕事を転々とした人も僧侶になれません。
七.入門後の生活費を用意して無い人も無理です。

■僧侶として受け入れられない人■

一.未成年者。
二.満六十歳以上の方は相談の上で受け入れも可。
三.病気療養中の人。
四.修行中の生活費が無い人。
五.破産者、成年被後見人、これに準ずる人。
六.債務のある人。
七.刑の判決を受けて執行猶予中の人。
八.被扶養者のある人。
九.刺青のある人[消去した人を除く]。
十.上記に準ずる人。

■僧侶入門■

一.先ずは履歴書で審査します。
二.住職面接。
三.健康診断書の提出[指定医院あり] 。
四.得度日の相談。
五.得度
六.礼拝出仕して僧侶の日常を見習ってください。
●得度後、専従僧侶に自動的にはなれません。観音院の必用とする人材に限ります。観音院は世襲制を廃して居ますので、お弟子さん全てに住職就任の可能性があります。人望で決まると思います。

□観音院就業規則□

僧侶就業規則

一.就業時間は各自で相談し、業務に差し支え無いようにして下さい。
二.お互いの責任感で業務をしてください。
三.就業中知り得た信徒さんの情報は守秘義務に入ります。
四.慈悲をなすこと、奉仕をすることは勤務時間と見做しません。
五.礼拝、瞑想、祈願は勤務時間と見做しません。
六.礼拝と祈願ができなくなると退職と見做します
七.専従職員は受戒し得度を受け評議員として、観音院の運営に参画します。住職同様の責任感を持ってください。
八.評議員の資格を失った時は退職とします。

僧侶養成講座のご案内 受講者受付中です

お坊さん大募集、観音院に参詣可能な人。
広島の観音院では随時弟子の教育をしています。

お坊さんになりたい…

 動機は問いません。経済的にはどの職業よりも恵まれていません。職業として成立しません。礼拝も祈願も悩み事相談に乗ることも、瞑想することも労働ではありません。対価がないので聖職といわれるのです。

 「お坊さん」は職業というより、「覚り」を目指して精神修行をするグループ(僧伽)の一員になると考えてください。
※僧伽は梵語のサンガといい「僧侶」の原語からきている用語です。

 仏縁を正式に結ぶという「得度」もあります。生きている内に戒を受けて戒名をいただき、善き人を志す入門とか仏縁を意味する得度もあります。
仏教徒と言いましても、親が仏教徒で自分も自動的に仏教徒と考えておられる方がおられますが、これは間違いです。

 仏教徒になるためには、好きな宗旨宗派を選び、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見よりは、少し易しい日常十善戒を努力目標として生きる約束をすることです。観音院も「仏縁を厚くすること、希薄になった人間関係の中で、お寺が精神的な実家同様の働きをする」ことを意味する得度があります。

 得度の所用時間は約一時間、前後の日常法要には最低一回は出仕して頂きますので、全部で朝九時に寺に来られて午後三時くらいまで時間をとってください。

 軽い意味の出家得度ですが、ご本人の希望では、正式な僧侶養成コースに入られるのも自由です。

■生前戒名授与は、僧侶養成講座と異なり、年齢・性別・健康を問わず、入院中の代理も可、どなたの希望も受け入れます。面接はありませんが、このたびの応募の条件は、二十歳以上、出来れば十分な社会経験があり、一応定年前後くらいまでとしておきます。

 実際の年齢よりは、熱意や、健康と見かけの方が大切です。僧侶の修行しつつ、皆さんがもっておられる技術能力を社会に提供する奉仕活動も出来ます、例えば日本語以外の言語が使える人はこれからは特に望ましいと思われます。観音院のホームページのアクセスは多いので、外国語のホームページも計画しています。

 お申し込みは随時、受付けています。ご遠慮なくお問い合わせください。おひとりからでも僧侶は養成します。

 僧侶も尼僧も、どちらでも受け入れます。但し、現在、子供さんの養育などが負担になっておられる方は、なにかと無理が生じますのでご再考ください。

 僧侶(以下尼僧も含めて)は現世を何とか良い方向に導きたいと願う使命感が大切で、自己の生活をどのようにしてやって行くか、家のローンをどうして払おうかと考えておられる状態では、折角、僧侶になられても、他人の救済どころではありません。また、他人のお世話を十分にするには、健康も大切な条件です。

修行について

 一応の修行はして頂きますが、観音院では苦行といわれるものは、全て除いてあります。例えば、正座が出来るにこしたことはありませんが、全く期待しておりません。あぐらがかければ大丈夫です。法要は椅子式が大半ですし、正座をする必用はありません。

 苦行は、したい方が各自が工夫されて、滝に打たれるなり、峻険な山に登られるなり、読誦を繰り返されたり、好きなようになされれば良いことで、お勧めは出来ません。病気になったり怪我をするのは完全に自己責任になります。

むしろ、大切なのは心掛けです。情の問題です。心掛けの問題。慈悲心にまで高められ継続されれば言うことはありません。「いたわり、慈しみ、思い遣り、相手の立場で考える」ことが大切です。

「お坊さん」と言いますと

「お坊さん」と言いますと大層に聞こえますが、ふつうの人のように自覚のない仏教徒でも、死ねば全部「没後作僧(ぼつごさそう)」といってお坊さんにされるのですが、皆さんご存知ない。

どうせのことなら、生きている内にお坊さんになろうかと考える方が、本来あるべき姿といえましょう。

授業料は、得度支具三十万円、毎月の月謝などは不要です。特別な「法衣」や仏具等は各自、実費でそろえていただいております。

実費の内容はおよそ百万円、明細は、持仏として大日如来と厨子、阿字観本尊。燭台、花立、香炉、五鈷等洒水器等、空衣・如法衣は修行用と外出用、改良服夏物冬物各一。白衣、襦袢、足袋、裾よけ、紐各二、パイル帯、草履、輪袈裟、作務衣、数珠など各一です。

お坊さんが出来上がるまでは、個人差があって、短い人で一年、自信の無い人でも四、五年あれば大丈夫です。

修行には本来際限がありません、ご自分で納得されるまでなさってください。

ご自身に「不安や心配が無く、迷いが無くなって、真実を覚る」までには、一生かけるとも叶わぬ人もあり、その過程があり、短期間で「覚りの境地」に達する方もおられたり…、永い付き合いになります。

なにかと指導的な考え方を持たれるようになれば、今度は世間の救済とか後輩の指導という立場が待っています。

で、僧侶には検定試験はありません。途中で投げ出さない限り、百%観音院の僧籍が取得出来ます。推薦されれば観音院は世襲制を廃止しておりますので観音院の住職になれる可能性が生じます。

僧侶と言うより心の問題が大切で最終的には「聖[ひじり」を目指していただきます。

「聖」は検定試験はありません。衆望を得て、世間の人から頂く尊称で、このような尊い人を認定するほど観音院は思い上がっててはいません。単なる僧侶の養成では観音院も世間の皆さまも有意義なこととは認めてくださらないでしょう。「聖」と認定し、尊称するのは世間さまです。目的は高くもっていただきたいと願っています。覚りを求めてください。

観音院の僧侶に、剃髪(ていはつ)の義務はありせんが、清潔な髪型で、ヒゲは毎日剃られるのが好ましいことです。

当寺の住職は毎日剃っておられるけれども、これは清潔がお好きなからです。

僧侶の日常は、墨染めの衣「法衣(ほうえ)」を着なくてはならない。

僧形(そうぎょう)で街を歩いていて知り合いに会うと、多少の尊敬の念で接してもらうことが出来ます。まずは馬子にも衣装と言う言葉がありますが、その通りです。

大体養成したい人数は年間約十人、主に観音院の法要に従事してもらいます。それ以外にも、僧侶に社員教育の講話を依頼されたりすることがよくあります。これは、社会人として経験の長い皆さんの方が人気が出る可能性が高いと推定しています。

その他、広島の観音院のように、「写経・写仏 教室」とか、「寺子屋」 各種文化教室など、皆さんの得意分野をもって幾らでも世間に奉仕することができます。広島では第三種郵便物・季刊観自在を発行する出版社をもっています。令和2年12月1日現在通巻428号を発行しています。

近い将来には高齢者介護の仕事も必要になると検討しています。葬儀や法事は、どなたも生前の交際の結果として避けて通ることはできません。観音院に僧籍をもっておられる人の葬儀は、友人葬として盛大に厳かに、心を込めて執行されるのが常のことです。

ところで葬儀を執行するには僧侶の衣として金襴の袈裟(けさ)やら、何やらと結構費用が掛かりまして、観音院は経理を公開している寺ですから、これから設置する各地の事務所なども、当然ながら、経理を公開します。

今までに経理を担当していた方が居られたら、経理担当のお坊さんになられてもらいたいのです。

いろいろと外部と折衝する必要もありますから、そのような担当の人材も必用でしょう。

お坊さんになって数年はお礼奉公になります。それで運営が軌道にのって、道場の整備、仏具、法具を整え、金襴などの法衣や、その他必要なものがあれば、皆さんで審議し整えられる、給与というか、手当てというか、それは皆さんで相談して決められれば良いと思います。

観音院の運営は、住職が関与しません。信者さんの代表の評議員が役員会で審議して適正に運営されるようになっています。

葬儀について

 人は生まれきていずれは亡くなられる、先に送り、自分も往く。自分の葬儀代を心配せずに人生を充実して過ごし、遺族となっても不安なく、信頼 して葬儀を依頼できることが望ましいものです。都会の葬儀の布施は大体百万円以上は必要といわれています。これを少なくとも二十万円は安くしないと、世のためとは考えられないと思いますが、如何でしょうか。

 礼拝所は建設しなくても良いし、単なる「お坊さんの集団」でも非常に意味あることと思います。

 ですが、社会経験の豊富な方々が皆で相談されれば、何かと素晴らしいアイデアが浮かぶと期待します。

 僧侶には定年がありません。足元がふらふらになっても出来るという仕事は今時では珍しいですね。法主さんは数えで84歳まで生きられましたが、僧侶は有り難いことに、年と共に大切にされる傾向があると言われます。

 観音院は、葬祭より生きている人の生活指導に重点をおいていて、「悩み事・困り事相談」で役立ち、俗に「駆け込み寺の観音院」として通っています。葬儀は生前の交際の最後の最後の事です。

 僧侶の資格を持てば、何処かの寺の住職になれるというご期待があったとしたら、無理な相談です。ふつう一ヶ寺の住職になるには多額の扇子料(前住職の退職金のようなもの)が必要です。加えて、仏縁と衆望がなくては勤まりません。扇子料はその寺の十年分の収入が目安です。

 但し、観音院は世襲制ではありませんので、仏縁と衆望、努力次第で観音院の次やそのまた次の住職になれる可能性があります。

 土地はともかくとして、僧侶になられるには多少の資産は必要になります。修行中は収入がありません。僧侶になれても、世間に受け入れられるまでは収入はありません。まぁ儲かるような美味い性質の話は全くありません。老後の高尚な趣味と考えてもらっても困ります。

 どこまで突き詰めても結論は「世のため人のため」です。僧侶が金銭に困ると、世間に無理を言うことになります。

 観音院の僧侶は誰一人として借金はありません。月賦で物を買う者も一 人もおりません。カードは社会の仕組みで持たざるを得ませんが、現金の代わりです。

僧侶の資質として

 お坊さんになる人として好ましい性格は、社会人としても立派に仕事をなされた人です。「僧侶の世界に逃避しようとするご希望の人」は絶対に向きません。山寺の住職にでもなって、心静かに読経して、世間の喧騒から逃れて、安らかに往生したいと願われるのは、誤解の最たるものです。

 世間の喧騒から逃げ出さず、どのようにすれば良い世の中が創れるか、考えて、実行出来るような創造的人材が必要とされます。

 現在の多くのお寺さんは社会常識の外にあります。市場原理ということも、寺院が果たすべき役割も暗中模索でおられる場合が多いようで、この仏教界に世間の皆さんの新しい血を入れて、寺は如何にあるべきか考えてくださる組織を作りたいと願っています。大変に困難なことを考えています。

大切な運営の公開と財務の公開制度 内緒事は諸悪の根源で腐敗の原因です

 経理と運営は完全公開でないと、どこかで情報開示出来ない部分が生じてきます。説明義務が理解できない集団は、守秘義務の範囲も理解出来ません。

 宗教団体には個人秘に属する部分(懺悔や悩み事など僧侶として職務上知り得たことなど)があって、国会でも裁判でも証言が拒否出来る強い「守秘義務」があります。

 運営の公開は、帳票から損益計算書、貸借対照表はもちろんのこと、上場企業や金融機関以上の完璧な、まるで経理の神様が記帳したようなものを拵えます。

 日常の几帳面さが大切で、それほど大したことではありません。

 以前は電話も通話先が全て記録されていましたが、書類が膨大になり、これは廃止されました。

 加えて、観音院には監査役に相当する「監事」が2名いまして、これが大きな権限を持っていて、独立して役員会を招集し、その役員会では議長に就任して「役員の適正でない業務の執行があれば、これを糺す」制度があります。

 「戒律」とか内規は、より楽にするため、悪いことが起きないようにするため、良いことが向こうからやって来るように出来ているものです。幸せの器として内規や戒律がある、器が壊れると幸せも失われると考えています。

立腹するのは判断力が足りない 仏縁が有るか、無いか、で考えるだけ

 お坊さんが、腹を立てては不可ません。世間に矛盾があるなら、改善に向けて努力することです。もし、自分に対して理不尽になされることが起きたら「仏縁」が自分に無いか、相手に無いかのどちらかです。立腹することなど、ありえません。

 自分のことは出来うる限り自分でする習慣が、お坊さんには必要になります。

 例えば信徒約十万人の頂点に立っているはずの観音院の法主さんは、生前、望めば何でも他人さまがしてくださる。法主さんが言われるのには、これは、一僧侶としては、不謹慎、傲慢、横柄、堕落した考え方や行動になりやすい危険な環境、だと思っていると言っておられました。

 どのような立場になろうとも、慎みとか謙虚さ、出来れば「無欲」になれると良い、とも言われます。

 日常的なことがら、便所掃除から洗濯、身の回りの整理など、どんな作業でも、法主さんは、喜んで感謝してやっておられました。例えば、僧侶は食事後に洗い物を流しや調理場に放置するようなことはしません。世間では奥さんがしてくださるようですが、法主さんは完璧な男女平等の考え方を持っておられました。

 女性蔑視観や民族差別観、特権意識を持っている人は無くすよう努力してください。

 お坊さんは、本来は、蔑視観や差別観は持たないように努力するまでもなく、そのような努力をすることが無く、自然に平等に人を愛せることが望ましいと、観音院では考えています。

お坊さんの最大の目的は何か 迷いが無く、真実を知ること

 迷いが解けて真理を会得することを「悟った」とも「覚る」ともいいます。 そのような人は「覚者」です。覚者は(梵語buddha・仏陀の訳)ともいいます。仏陀は、自ら覚り他を覚らせ、覚りも行も完全な者を覚者と言います。

 観音院では、生前に仏縁に従い得度して戒を受け、「努力目標」として生きて行くことを勧めています。

 得度を受けると、「僧名」か院号付きの立派な「戒名」がもらえます。(仏教徒の本来は、十善戒の内容が理解出来るようになってから、仏教に入門する意味で団体規約の戒律を守ることを約束し、正式な仏教徒としての聖なる名を付けます。その名を僧名といいます。)

 二文字の僧名、この世もあの世も共通して使えますが、仏教徒としてふさわしい名前に僧侶らしさがにじみ出ています。

 素朴で質素や十善戒を守る意思を示した僧名を、日常使用されることは、 とても望ましいことです。

 観音院は「良く拝むこと」で知られていますが、これを単なるキャッチフレーズだと思っている人が少なくありません。

 僧侶が拝むことは当然のこととしても、信徒さんが一緒に読経されるのが「良く拝むことの実態」なんですが、大勢の人と一緒に読経するのも、一人で読経するのもぞれぞれ良いものです。

 観音院の運営はしばしば話題になります。

 僧侶のボランティアが約百名、作務(さむ)に関わるボランティアが約百名。費用は低廉で済みます。昔の村のような機能が現在も生きているのです。

僧侶養成講座を開く理由 当初は、受講者自らの迷いを無くす

 当初は、受講者自らの迷いを無くす

最も大切なことですが、受講を申し込まれた二十人でも三十人でも「迷いの無い」日常を過ごしていただくことと、「真実」を知ってもらうことです。

 観音院の僧侶は、寺院負担金とか宗費のような負担、寄附金等の依頼はありません。勉強は一応、午前九時から昼まで、午後一時から四時までの一日六時間前後です。ご希望によっては午前午後を選択されることも可能です。教材などは全て観音院で負担します。法衣は自己負担。

 より良い僧侶の団体が出来て、世のため人のために尽くして頂きたいのです。

※公益法人や宗教法人の闇の部分は、運営の不透明さ、説明不十分から発生します。「情報開示」の習慣を持たないと、何を開示し、どこに守秘義務があるか、そのような重大なことの線引きが出来なくなります。プライバシーを守ることと説明義務は、日常の訓練が重要です。高度情報化時代の大切な心掛けです。

※僧侶をサービス業とか自由業として分類することも可能ですが、失礼な話です。僧侶は職業であるとしたら聖職だと思います。僧侶の主たる行動である瞑想はご本人の付加価値は高めますが、他に利益はもたらしません。

 地位とか名誉とか財産の所有などから離れた精神生活を送っているべきだと思います。相手の立場で考える優しい人柄を目指して、自己の完成に向けて修行を続けている人たちです。

※腹を立てるとか激昂するなんて、僧侶はしては不可ません。あれこれ迷ったり悩んだりするのも僧侶とは言い難いと思います。何かがあった時は改善すれば良いことです。迷いや悩みから遠ざかることが望ましいと思います。

 自分の心を高めながら世間の人の幸せを考えて生きて行きたいと願っています。

お問い合わせ

観音院(かんのんいん)

電話:082-233-5000
電話:082-232-8251
FAX:082-232-8260
所在地:
〒733-0032
広島市西区東観音町10-2(Google MAP)

第39条 歳計に剰余を生じたときは、これを翌年度の歳入に繰り入れるものとする。ただし、責任役員会の議決を経て、その一部又は全部を基本財産に編入することができる。